※本日の聖書箇所「ルカの福音書12章31節~32節」(新約p.142下段右側)
12:33「自分の財産を売って施しをしなさい。自分のために、天に、すり切れない財布を作り、尽きることのない宝を積みなさい。天では盗人が近寄ることも、虫が食い荒らすこともありません。
12:34 あなたがたの宝のあるところ、そこにあなたがたの心もあるのです。」
◎メッセージ【あなたがたの宝は】
《私たちは、誰もが自分に取って「宝物」と言える物を持っているのではないでしょうか。しかし、ここで忘れてはならないことがあります。それは、すべては神様が与えて下さったものだと言うことです。私たちが、この世という世界において、喜び、感謝し、また楽しむことを許しておられる神様の恵みと哀れみであることを、決して忘れてはならないのです。
「自分の財産を売って施しをしなさい。自分のために、天に、すり切れない財布を作り、尽きることのない宝を積みなさい。天では盗人が近寄ることも、虫が食い荒らすこともありません。」
マタイの福音書における平行記事では、「自分の財産を売って施しなさい」と言う言葉は、言われていないのです。よって、「宝を天にたくわえる」ことが、主が言われる本意であることが分かります。
さて、人に施しをする場合、施しを受ける人のためであるはずなのですが、主は、それを「自分のために」と言われています。なぜなら、報いが非常に大きいからです。マタイの福音書において、主は、こう言われています。
「私の弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」と。
大きな報いを受け取ることが出来たとしたら、間違いなく、それは、自分の為になるのではないでしょうか。
それでは、「天に宝を積む」こととは、具体的にはどのようなことなのでしょうか。まず、献金です。礼拝献金、十分の一献金、集会献金、感謝献金、特定献金などはすべて、天に宝を蓄えることになります。
また、友人にプレゼントしたり、分けあったり、ご馳走したりすることも、天に蓄えることになるのです。しかし、お金だけではありません。時間もそうなのです。神様の為に、また友人をもてなす為に使われた時間も、天に蓄えられる宝であると、私は確信しています。
最後に、主はこう言われています。
「あなたがたの宝のある所、そこにあなたがたの心もあるのです。」と。
ところで、神様に取って、宝とは何なのかを考えて見たいと思います。申命記には、
『あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。主は地の面のあらゆる民の中からあなたを選んで、ご自分の宝の民とされた。』と書かれています。これは、イスラエルに言われた言葉ですが、霊的イスラエルである私たちにも向けて語られてもいるのです。私たち一人一人は、神様に取って、大切な大切な宝物なのです。それだからこそ、神様はやがて、私たちと言う宝を天に蓄えられるのです。それが携挙です。
皆さん。その時、私たちは、地上の住まいにあったすべての物を置いて行くことになります。私たちは、何一つ、天に持って行くことは出来ません。私たちの真の宝物とは、「永遠のいのち」なのです。この宝物に勝るものは何一つありません。
神様は私たち、神様の子どもたちが、この地上において楽しむ為に、宝物を持つことを許されています。しかし、「永遠のいのち」と言う、真の宝物をしっかりと握りしめていなければならないのです。これ以上の宝物は世界に存在しないのですから。》