あなたへのメッセージ

◆◇◆あなたへのメッセージ
イエス・キリストは今から約二千年程前に確かに十字架に架かられました。それは私たちのすべての罪が赦されるためであり、御子を信じる者が誰一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためであるのです。そして本当に三日目によみがえられました。聖霊なる神様の力によって復活されたのです。今も生きておられ、創造主であられる父なる神様の右の座に着座されています。また日々私たちのために取りなしをしてくださっておられます。
このお方を信じて受け入れる者は誰でも神の子どもとされ、主イエス・キリストの流された血潮において罪がすべて洗い聖められるのです。今まで犯して来たあらゆる罪がすべて赦されるのです。そればかりではありません。罪の力から完全に解放されるのです。自由にされるのです。教会はこのお方の充ち満ちている所です。なぜなら教会は主ご自身の御からだであり、父なる神様と主イエス様から遣わされた聖霊なる神様のご臨在される所だからです。助け主であられる聖霊様は、主イエス・キリストを信じる者を、守り助け出してくださいます。人はなぜ生まれたのか。また人はなぜ生きて行くのか。その答えはただ一つです。主イエス・キリストを見い出すこと。創造主なる、まことの神様を知ること。そのことこそが、人生すべての目的、かつ目標、かつゴール(到達点)だからです。
主イエスは言われました。
『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。』と。
「すべての道はローマに通ず」ではなく、イエス・キリストに通じています。ソクラテスに始まり多くの哲学者が、「真理」を探し求めて来ました。「真理」の根源は、自己の存在にあります。デカルトの言葉は、今でも私たちの心に訴えています。「我思う。ゆえに我あり」しかし、この悟りとも言うべき彼のひらめきには、救いは何一つないのです。自分がなぜ存在するのか。その答えは、自分を創造された創造主がおられることに、目を向けない限り、決して辿り着くことはできないのです。イエス・キリストこそが真理なのです。「いのち」とは何でしょうか。主イエスこそが、命を与えられるお方なのです。そればかりではなく、人が生きて行く為に必用なものを、すべて与えてくださるのです。主イエス・キリストに「いのちの源」があるのです。主は、ただ一人、死を打ち破られたお方です。悪魔の武器である「死」と「呪い」を打ち砕かれたのです。
人は霊的存在であると、聖書は教えています。私たち人間は、最初に創造された時、この天地創造された神様と霊的に交わる(会話する・あるいは人格と人格とで出会う)ことができたのです。なぜなら神は霊であられ、本当の私たちも霊であるからです。しかし最初の人アダムが罪を犯してしまい、アダムの霊が死んでしまいました。その子孫である私たちの霊も死んでしまったのです。私たちの中に、本来神様でなければ埋めることのできない大きな穴がぽっかり空いてしまいました。人は、この穴を何とか埋めようとして、あらゆるむなしい試みをするのです。お金であったり、物であったり、あるいは異性であったり。しかし、この穴は神様以外のものでは埋めることができないのです。今でも多くの人々が、何かに取り憑かれたように、探し求めています。その穴を埋めるために。
主イエス・キリストを救い主として人が信じ受け入れる時に、その人の霊は新しく造り変えられ、その空いた穴の中に、聖霊なるお方がお住まいになられるのです。
『見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。』(黙示録3:20)

救いのメッセージは単純です。パウロは言っています。
『なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。』(ローマ人への手紙10:9~10)

私と共に祈ってください。そして「永遠のいのち」を受け取ってください。
天のお父様。私は罪人です。私の罪の身代わりとして、イエス様が、十字架に架かって死んでくださいました。そして三日目によみがえられました。そのことを信じます。受け入れます。どうか私の罪をお赦しください。イエス様。あなたを、私の救い主として信じます。どうか私の心の中にお入りください。私の生涯をあなたにお捧げし、今あなたをお迎えします。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。