◇◆◇日々のみ言葉
2026年2月15日(日)
◎聖書箇所【ガラテヤ人への手紙4章21節~23節】
4:21 律法の下にいたいと思う人たちは、私に答えて下さい。あなたがたは律法の言うことを聞かないのですか。
4:22 そこには、アブラハムにふたりの子があって、ひとりは女奴隷から、ひとりは自由の女から生まれた、と書かれています。
4:23 女奴隷の子は肉によって生まれ、自由の女の子は約束によって生まれたのです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『4:21 律法を守らなければ救われないと考えている人たちは、よく聞いてほしい。どうして律法の真意を知ろうとしないのか。
4:22 創世記に記されているアブラハムの子イサクとイシマエルの出来事には比喩がある。イシマエルは女奴隷ハガルから生まれ、イサクは自由の女サラから生まれた。
4:23 イシマエルは血のつながりのある子に過ぎないが、イサクは神の約束によって生まれた子である。』
21節の新改訳の訳は意味不明な訳になっています。現代訳は、まさしくパウロの真意を伝えています。
「律法の真意」とは、罪の中に閉じ込めることなのです。すなわち罪の奴隷であることを悟らさせるためなのです。律法には、救いは全くありません。人間には「救い主」が必要であることを悟らさせるためなのです。
自分がいかに罪人であるのか、そのことが分からないのなら、主イエスの十字架の意味も分からないのです。
あえて、伊東市の前市長のことを例に挙げさせていただきますが、人は、なかなか自分の罪を認めず、自分の行動を正当化しようとするものなのです。
もし、前市長が問題が発覚した時に、素直に謝罪し、議会と市民に頭を下げたのなら、辞職する必要もなかったと私は考えています。実際、前市長のやったことは、あまり市政とは関係のないことであり、誠実な対処が求められたに過ぎなかったと思うのです。
その点、前橋市長は、ある程度は自分の罪を認め辞職して、出直し選挙にて再選されました。罪を認めることは悔い改めに通じるものです。明日も同じ箇所からとなります。》