◇◆◇日々のみ言葉
2021年5月28日(金)
◎聖書箇所【マタイの福音書13章37節~43節】
13:37 イエスは答えてこう言われた。「良い種を蒔く者は人の子です。
13:38 畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。
13:39 毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。
13:40 ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。
13:41 人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、
13:42 火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
13:43 そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。
「畑の毒麦」のたとえを説明して下さい。」
主イエスは、弟子たちの願いに応え、その解き明かしをされました。
昨日は、この解き明かしが、「教会内」のことであるとする解釈について考えて見ました。今日は、「教会外」のこととする解釈に沿って、考えたいと思います。
私は、このたとえは、「教会内」のことよりも「教会外」のこととして、主イエスは語られたと思っています。その根拠は、主イエスが「畑はこの世界のこと」であると言われたことです。ここでは「教会」とは言っておられません。
「教会」と言う奥義は、実は主イエスの公生涯中には、まだ弟子たちには隠されていたものです。
主イエスが最初に「教会」について話されたのは、ピリポ・カイザリアにおいてでした。
『「では私もあなたに言います。あなたはペテロです。私はこの岩の上に私の教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。(マタイの福音書16:18)』と。
そしてもう一箇所、
『「また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。もし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりを一緒に連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。(マタイの福音書18:15~18:17)』と。
この意味することは、まだ弟子たちには分からなかったのです。エルサレムに最初の教会が誕生するのは、主イエスが復活された後のことです。場所的には、最後の晩餐が行なわれたヨハネ・マルコの家の二階の大広間のことです。
「教会外」であるとするならば、恵みによって「救い出された者(良い種)」と「救われていない者(毒麦)」との間に境界線が引かれることになります。
しかし、忘れてはならない真理があります。それは、主イエスはすべての人の罪の身代わりとなって、十字架にかかって下さったことです。父なる神様の願いは、すべての人が主イエス・キリストを信じて救われ、永遠の命を持つことなのです。》