• 日々のみ言葉 2021年5月27日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2021年5月27日(木)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書13章37節~43節】
    13:37 イエスは答えてこう言われた。「良い種を蒔く者は人の子です。
    13:38 畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。
    13:39 毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。
    13:40 ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。
    13:41 人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、
    13:42 火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
    13:43 そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。」

    ◎ショートメッセージ
    《「畑の毒麦」のたとえを説明して下さい。」
     主イエスは、群衆と別れてシモン・ペテロの家にはいられました。主イエスによるガリラヤ宣教は三回にわたって、おもに公生涯の初期に行なわれましたが、その宣教の本拠地として、カペナウムにあるシモン・ペテロの家を拠点としていたのです。

     主イエスは、彼らに分かりやすく「畑の毒麦」のたとえを解き明かされました。

    「良い種を蒔く者は人の子です。」
     ここで「良い種」を蒔かれるのは、「人の子」すなわち主イエスご自身であることが分かります。
     しかし、敵である悪魔(サタン)も、「毒麦の種」を蒔くと言われるのです。そして「良い種」とは、「御国の子どもたち」であって、すなわち主イエスを信じ従う弟子たちを指しています。
     また、「毒麦」とは、「悪い者の子どもたち」のことだと言われます。

     私たちは、この「毒麦のたとえ」をどのように理解したら良いのでしょうか。これは「教会内」のことでしょうか。それとも「教会外」のことなのでしょうか。それによって、その解釈はまったく異なることになるのです。

     もし「教会内」のことであるとしたら、クリスチャンの中に、主イエスの十字架によって流された尊い血潮による恵みによって、罪を悔い改め、罪を洗い清められた本物のクリスチャンが存在すると同時に、一見クリスチャンであるように見えながらも、その実態は、主イエスの十字架をないがしろにする者であって、本物の信者をつまずかせる為に、敵である悪魔が送りつけた偽物のクリスチャンが存在すると言うことになります。

     もし、そうであるとしたら、これは恐ろしいことです。しかし、聖霊はそれを見分けられます。何が証明するのでしょうか。
     それは「実」です。本物のクリスチャンには、「御霊の実」がなるのです。しかし、偽物は、「御霊の実」ではなく「悪い実」が実ります。明日も同じ箇所からとなります。》

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