• 2022年4月24日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2022年4月24日 第四主日礼拝メッセージ
    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書20章24節~29節】(新約聖書p.228下段右側)
    20:24 十二弟子の一人で、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
    20:25 そこで、ほかの弟子たちは彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と言った。
    20:26 八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。
    20:27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。手を伸ばして、私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
    20:28 トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」
    20:29 イエスは彼に言われた。「あなたは私を見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」

    ◎メッセージ【復活から一週間後】
    《さて、イースター礼拝の一週間後にあたります今日の礼拝では、復活の一週間後の出来事について、学んで見たいと思います。
     週の初めの日の朝、マグダラのマリヤと女たちは、園の真新しい墓に急ぎます。そこで二人の御使いと遭遇します。彼らは、主イエスの伝言を伝えます。
    『「驚く事はありません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められていた場所です。さあ行って、弟子たちとペテロに伝えなさい。『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』」
     さっそく女たちは、二手に分かれて弟子たちにこの「喜びの知らせ」を伝えに走ります。しかし、弟子たちには、この話はたわごとに思われたので、誰も信じようとはしなかったのです。主イエスは、その日の朝にシモン・ペテロにその姿を現わされます。そしてその日の夕方のことです。弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていましたが、主イエスが来て彼らの真ん中に立たれたのです。
    「平安があなたがたにあるように。」こう言われてから、主イエスは手と脇腹を彼らに示されました。弟子たちは主を見て喜んのです。しかし、この時なぜか、デドモと呼ばれたトマスはいなかったのです。ほかの弟子たちはトマスに「私たちは主を見た」と証しします。
     しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と言うのです。
     そして、その一週間後のことです。おそらく時刻は、同じく夕方であったに違いありません。この時にも、戸には鍵がかけられていましたが、主イエスが同じようにやって来たのです。この時にはトマスも彼らと一緒にいました。
    「平安があなたがたにあるように。あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。手を伸ばして、私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
     この言葉は、トマスだけにではありません。すべてのクリスチャンに向けて語られています。私たちは案外、心の奥底から主イエス様を信頼していないのです。
     ほぼ三年半年にわたる主イエスの公生涯において、多くの奇跡や不思議を目の当たりに目撃した使徒たちでさえ、そうであったのです。
     主イエスは復活されてから四十日目に、オリーブ山から天に昇って行かれます。残念なことに、それから二千年後の時を経て生きています私たちには、主の御声をじかに聞くことも、またその御顔をこの目で見ることも、そして御からだをこの手で触れることも出来ません。
     しかし、主イエスは私たちに「もう一人の助け主」をお与えになられました。そのお方が、主イエスが約束された御霊(聖霊様)なのです。このお方は、私たちの内におられ、共にいて下さるのです。》

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