• 2022年12月11日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書2章1節~12節】(新約聖書p.178上段右側)
    2:1 それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があり、そこにイエスの母がいた。
    2:2 イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれていた。
    2:3 ぶどう酒がなくなると、母はイエスに向かって「ぶどう酒がありません」と言った。
    2:4 すると、イエスは母に言われた。「女の方、あなたは私と何の関係がありますか。私の時はまだ来ていません。」
    2:5 母は給仕の者たちに言った。「あの方が言われることは、何でもしてください。」
    2:6 そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、石の水がめが六つ置いてあった。それぞれ、二あるいは三メトレテス入りのものであった。
    2:7 イエスは給仕の者たちに言われた。「水がめを水でいっぱいにしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。
    2:8 イエスは彼らに言われた。「さあ、それを汲んで、宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
    2:9 宴会の世話役は、すでにぶどう酒になっていたその水を味見した。汲んだ給仕の者たちはそれがどこから来たのかを知っていたが、世話役は知らなかった。それで、花婿を呼んで、
    2:10 こう言った。「みな、初めに良いぶどう酒を出して、酔いが回ったころに悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておきました。」
    2:11 イエスはこれを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。
    2:12 その後イエスは、母と弟たち、そして弟子たちとともにカペナウムに下って行き、長い日数ではなかったが、そこに滞在された。

    ◎メッセージ【ヨハネの福音書における7つの奇跡(そのⅠ)】
    《ヨハネの福音書に記されています「七つの奇跡」について学びます。最初のしるしは、2章に書かれています「カナの婚礼」の奇跡です。主イエスが「水をぶどう酒に一瞬にして変える」と言うお話です。
     カナとは、ナザレの北約14キロの地点にある町のことです。主イエスが、6番目の弟子として召し出されたのは、このカナ出身のナタナエル(バルトロマイ)でした。その三日後に、カナの婚礼が催されたのです。主の母マリアが、婚礼の接待係を担当していたのです。当然、主の弟と妹たちも、母マリアの手伝いに来ていました。そして、おそらく主ご自身と共に、六名の弟子たちも、給仕の者としてかり出されたと考えられます。
     ユダヤの婚礼の席は、一週間は続きます。花婿も、世話役も十分なぶどう酒を用意していたはずなのです。しかし、婚宴の終わりの方で、ぶどう酒がきれてしまいました。そのことをいち早く知った母マリアは、息子イエスにこう言うのです。「ぶどう酒がありません」
     婚宴の席において、ぶどう酒がきれてしまったことは、主役の花婿にとって大きな失策です。面目丸つぶれです。そこで主イエスは、弟子たちにこう言うのです。
    「水がめを水でいっぱいにしなさい。」
     この水がめの数こそ、主イエスに従って、婚礼の席の接待の手伝いをするはめになった、弟子たちの数と一致します。そこには、石の水がめが6つ置いてありました。弟子たちは、それぞれにわり与えられた水がめに、桶を持って、何度も井戸を往復したに違いありません。 この奇跡は、花婿のピンチを救うことにもありましたが、最大の目的は、主の弟子になったばかりの6名の者たちが、主を信じることなのです。
     6つの水がめの最後の水がめが、満タンになったその時、その瞬間に奇跡が訪れます。
    水は無臭ですが、ぶどう酒は違います。甘酸っぱい香ばしい香りが辺り一面に漂ったのです。
    「さあ、それを汲んで、宴会の世話役の所に持って行きなさい。」
     この時、弟子たちは、そのぶどう酒を飲んで味わったのです。このぶどう酒は、彼らの人生において、今まで味わったことのない、最高に美味しいぶどう酒でありました。
     弟子たちは、宴会の世話役へ持って行きました。彼は、すでにぶどう酒になっていたその水を味見しました。そして、花婿を呼んで、「みな、初めに良いぶどう酒を出して、酔いが回ったころに悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておきました。」と言うのです。
     違うのです。この花婿も、そうしていたのです。それが常識だったからです。このように、主イエスが用意される物は、いつも最高の物なのです。
     さて、ヨハネはこう書き記しています。『汲んだ給仕の者たちはそれがどこから来たのかを知っていた』と。そして、『イエスはこれを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。』と。

     私たちが信じていますのは、教理ではなく、聖書に解き明かされた主イエス・キリストです。このお方こそが創造主であり、救い主であり、まことの神様なのです。
     このお方は、私やあなたの罪の身代わりとして、十字架にかかって死んで下さいました。そして三日目によみがえられました。それは、主イエスを信じる者には、罪の赦しと永遠のいのちが与えられるためにです。
     間もなく今年も、このお方が生まれた日、クリスマスがやって来ます。クリスマスと十字架は、切っても切り離さないことなのです。なぜなら、主イエスは死ぬ為に、十字架にかかる為に、この世に来て下さったからです。》

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