• 日々のみ言葉 2015年8月14日(金)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年8月14日(金)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書4章3節~8節】

    4:3 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
    4:4 蒔いているとき、種が道ばたに落ちた。すると、鳥が来て食べてしまった。
    4:5 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
    4:6 しかし日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
    4:7 また、別の種がいばらの中に落ちた。ところが、いばらが伸びて、それをふさいでしまったので、実を結ばなかった。
    4:8 また、別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」

    ◎ショートメッセージ

    《このたとえ話は、『種を蒔く人のたとえ』と言われている。マタイ・マルコそしてルカにおける3つの共観福音書に、それぞれ詳しく掲載されているたとえ話である。

    「種を蒔く人」というと、私はジャン・F・ミレーの絵を思い出す。この絵は、二枚存在し、一枚は、山梨県立美術館に展示され、もう一枚はアメリカのボストン美術館に展示されている。一時期であったが、山梨県立美術館において『特別展』として、この二枚の「種を蒔く人」の絵を、同時に並べて展示したことがあった。その迫力は、いまだに、私の脳裏に焼き付いている。どちらかが、サロンに出展されたものであり、どちらかが下書きであると言われている。ミレー研究家は、山梨にある絵が、サロンに出展されたものであると、ほぼ確定しているとの事である。

     この絵は、赤い上着に、青緑色のズボンをはき、帽子を深くかぶった力強い農夫が、肩から下げた種の入っている袋から、右手に種を目一杯つかんで、大地に種を蒔いている、という力みなぎる作品で、その背景の右側には、二頭立ての牛に、耕作くわを引かさせている農夫が描かれており、左側の背景には、蒔かれたばかりの種を、横取りしようとたくらんでいる、たくさんのカラスの群れが、小さく描かれているものである。

     ミレー自身が、主イエスの語られた「種を蒔く人のたとえ」を、その当時のフランスのバルビゾンにおいて再現しようとしたのかどうかは、分からないが、私は、なぜか、この農夫と主イエス・キリストの姿が重なるのである。私の大好きな絵の一つでもある。

     さて、力強く蒔かれた種は、ある種は風に乗って道ばたに、ある種は風に乗って岩地に、ある種は風に乗っていばらの地に、落ちたのである。今から二千年ほど前の、主イエスのおられた当時は、先に種を蒔いてから、土を耕したようである。よって、蒔かれた種が、烏に食べらることは良くあることであり、また風に吹かれて、どこかへ行ってしまった種も、決してあり得ないことではない。

     しかし、一番大切なことは、この話は、主が語られた「たとえ話」であって、実際に起こった事実ではない。よって、このたとえの意味する本当の真理を、私たちはつかみ取らなければならない。

     全身おできができて、愛犬になめられていた貧乏人ラザロと、ある大金持ちの話は、たとえではない。主は、真実を語ったと言われている。

    「種」とは、福音であり、み言葉である。「種を蒔く人」とは、主イエスである。そして、主イエスが遣わされた使徒たちであり、また先に救われた私たち一人一人でもある。 すでに私たちには、「種」が渡されている。しかしその種を、蒔くか蒔かないかは、私たち一人一人の意思に任されている。

     種を蒔かなくては、収穫は見込めない。当たり前のことである。私は何としても、何時、いかなる時も、種を蒔き続ける者でありたいと願っている。たとえ、多くの種が、烏に横取りされようとも。》

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