• 日々のみ言葉 2015年8月15日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年8月15日(土)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書4章9節】

    4:9 そしてイエスは言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」

    ◎ショートメッセージ

    《主は、多くのたとえを語られた。そのたとえを用いて、多くの真理を弟子たちに教えようとされた。そのたとえ話の多くは、やさしく、かつわかりやすいものであったが、その使用された言葉とは裏腹に、その内容は、霊的であり、深く真理を隠し通しているものであり、まさしく「奥義」そのものであったのである。

     よって、その真の内容を理解するには、助け主であられる、聖霊なるお方の力が必要である。パウロが言っている通りである。

    『まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」
     神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。
     いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、誰が知っているでしょう。同じように、神のみ心のことは、神の御霊のほかには誰も知りません。
     ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。
     この賜物について話すには、人の知恵に教えられた言葉を用いず、御霊に教えられた言葉を用います。その御霊の言葉をもって御霊のことを解くのです。
    生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。(第Ⅰコリント人への手紙2:9~2:14)』

     聖書は、一言一句誤り無き神の言葉である。
     しかし、すべてのプロテスタントの教会が、そのような信仰告白をしているとは限らない。ある教派では、聖書は人間が執筆したから、間違いもあるとしている。確かに聖書は、分かっているだけでも、約40名の人によって書かれた。つまり人間が書いたのである。
     しかし、聖書は、霊的書物である。確かに、その直接的著者は、たとえば新約聖書の半分の13巻を書いたパウロのように、著者を特定できるが、本当の著者は、聖霊なる神様であり、このお方が、その人物を用いて書かせたのである。それだからこそ、旧約聖書も新約聖書も、まるで一人の人が書き記したように、最初から最後まで、矛盾することなく、一本すじが通っているのである。そのテーマは一人の人についてである。すなわちメシヤなるお方、主イエス・キリストについてである。
     
    主イエスは、言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」

     私たちは、聖書に聞かなければならない。主イエスの言葉に、神の言葉に、耳を傾けなければならないのである。
     この主イエスの言葉は、ただ聞くことだけに留まらず、そこには従うことが要求されている。

     神の言葉に、主イエスの言葉に、み言葉に聞き従う。そうすれば、私たちは、平安と希望とを見いだすことになる。

     主イエスは、ローマ兵たちに捕らえられる直前、ゲッセマネの園に向かう道において、弟子たちにこのように言われた。

    『私がこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたが私にあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。私はすでに世に勝ったのです。」(ヨハネの福音書16:33)』

     私たちの勝利こそ、主イエス・キリストへの信仰である。主イエスは、私たちの羊飼いであられる。そして私たちは、主の羊である。

    「聞く耳のある者は、聞きなさい。」私たちは、主の声を聞き、そして従う者なのだ。》

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