• 日々のみ言葉 2024年5月6日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2024年5月6日(月)

    ◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙1章22節~25節】
    1:22 ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。
    1:23 しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、
    1:24 しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。
    1:25 なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所からとなります。再度ですが、現代訳を掲載します。
    『1:22 ユダヤ人はそのメッセージが真実である証拠としての奇跡を要求し、ギリシヤ人をはじめ文明人は、理性で納得できるものを要求する。
    1:23 しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝える。それは、ユダヤ人にとってはつまずきの石となり、ギリシャ人をはじめ文明人にとっては、ばかばかしいものかもしれないが、
    1:24 神によって、救いに入れられた者たちにとっては、ユダヤ人でもギリシヤ人でもすべて、キリストは神の力であり、神の知恵にほかならない。
    1:25 というのは、人の目から見て愚かに見えるこの神の救いは、人間の知恵よりはるかに賢いものであり、人の目から見て弱々しく見えるキリストの十字架上の死という出来事は、どんな人間よりもはるかに強いからである。』

    パウロは言います。
    「しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」

    十字架とは、ローマ帝国が考え出した、最も残酷な死刑のシンボルでした。しかも、ローマ帝国反逆罪の者だけが、この刑に処せられるのです。
    ユダヤ人にとって「つまずき」となることとは、なぜメシアが十字架にかかって死ななければならないのか、ユダヤ人のメシアなら、ローマ帝国を滅ぼしてくれるはずだ、という妄想があるからです。

    そして、「異邦人にとっては愚か」ということは、異邦人は聖書を持っていません。また、なぜローマ人たる者が、ユダヤ人のメシアを、しかも十字架にかけられ処刑された者を、信じなければならないのか、あまりにも馬鹿馬鹿しいということなのです。

    現在でも、多くの人々は、今から二千年ほど前に十字架にかかられた主イエスとは、何の関わりをも見い出せないのです。彼らにとっては、それは過去であり、古い歴史の中の一つの出来事だからです。
    しかし、召された私たちにとっては、主イエス・キリストの十字架による贖いは、まさに神の力であり、神の知恵なのです。》

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