◎本日の聖書箇所【ルカの福音書5章1節~7節】(新約聖書p.73下段右側)
5:1 さて、群衆が神の言葉を聞こうとしてイエスに押し迫って来たとき、イエスはゲネサレ湖の岸辺に立って、
5:2 岸辺に小舟が二艘あるのをご覧になった。漁師たちは舟から降りて網を洗っていた。
5:3 イエスはそのうちの一つ、シモンの舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして腰を下ろし、舟から群衆を教え始められた。
5:4 話が終わるとシモンに言われた。「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」
5:5 すると、シモンが答えた。「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、お言葉ですので、網を下ろしてみましょう。」
5:6 そして、そのとおりにすると、おびただしい数の魚が入り、網が破れそうになった。
5:7 そこで別の舟にいた仲間の者たちに、助けに来てくれるよう合図した。彼らがやって来て、魚を二艘の舟一杯に引き上げたところ、両方とも沈みそうになった。
◎メッセージ【大漁から学ぶこと】
《シモン・ペテロのしゅうとめを癒やされた後、主イエスは、ガリラヤ全域にわたって、町や村にあるユダヤの会堂で、安息日ごとに教え、病をいやされ、悪霊を追い出されました。
しかし、シモン・ペテロの家には、必ず戻って来たと思われます。
して、おそらく、主イエスは、4人の弟子たちに漁をするように命じていたと思われます。
それが、今日の聖書箇所になります。
この時には、主イエスは一人でおられました。すると、群衆が神の言葉を聞こうとして、あまりに差し迫って来た為、主は退かれ、ガリラヤ湖の岸辺に来られたのです。
そして、主イエスは、シモンの舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれ、腰を下ろし、舟から群衆を教え始めたのです。お話が終わりますと、主はシモン・ペテロに言われます。
「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」
「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、お言葉ですので、網を下ろしてみましょう。」
このことから、彼らは徹夜で、漁をしていたことが分かります。また、主は、石大工でした。漁に関しては、まさに素人です。
しかし、シモン・ペテロは、主が言われた通り、深みに漕ぎ出して、網を降ろしました。すると、おびただしい数の魚が入り、網が破れそうになったのです。この大漁は、シモン・ペテロの常識さえも打ち破るものでした。
そこで別の舟にいた仲間の者たちに、助けに来てくれるよう合図をし、彼らがやって来て、魚を二艘の舟一杯に引き上げたところ、両方とも沈みそうになったと言うのです。
この体験はいったい何を意味し、何を教えているのでしょうか。
それは、シモン・ペテロの家族の為でもあるのです。特に、ペテロの家は、主ご自身が「自分の家」と呼ぶくらいですし、またガリラヤ伝道の宣教基地として、用いておられました。
それゆえ、カペナウムに戻って来るたびごとに、主イエスと弟子たち一行は、シモンの家に宿泊し、しゅうとめの手厚い持てなしを受けたのです。しかし、手厚い持てなしをし続けるには、やはり、先立つ物が必要なことは言うまでもありません。
この後、シモン・ペテロとアンデレは、僕たちに、すべての魚の処理を任せて、主イエスに従うことになります。大漁の魚は、すべて、シモン・ペテロの家族に与えられたのです。
さらに、もう一つの意味は、この時点から約三年半後の出来事の付箋になっていることです。その時には、153匹の魚がかかります。
主イエスは、弟子だけではなく、彼らの家族のことをも、心に覚えておられるのです。
主は、「山上の垂訓」で、
『「ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」』と、弟子たちに約束されたのです。そして、私たちに。》