• 2024年6月17日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【ルカの福音書5章33節~39節】(新約聖書p.119下段真中)
    5:33 また彼らはイエスに言った。「ヨハネの弟子たちはよく断食をし、祈りをしています。パリサイ人の弟子たちも同じです。ところが、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています。」
    5:34 イエスは彼らに言われた。「花婿が一緒にいるのに、花婿に付き添う友人たちに断食させることが、あなたがたにできますか。
    5:35 しかし、やがて時が来て、花婿が取り去られたら、その日には彼らは断食します。」
    5:36 イエスはまた一つのたとえを彼らに話された。「だれも、新しい衣から布切れを引き裂いて、古い衣に継ぎを当てたりはしません。そんなことをすれば、その新しい衣を裂くことになり、新しい衣から取った布切れも古い衣には合いません。
    5:37 まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしません。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を裂き、ぶどう酒が流れ出て、皮袋もだめになります。
    5:38 新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れなければなりません。
    5:39 まただれも、古いぶどう酒を飲んでから、新しい物を望みはしません。『古い物が良い』と言います。」

    ◎メッセージ【新しい革袋】
    《「なぜあなたがたは、取税人たちや罪人たちと一緒に食べたり飲んだりするのですか。」
    「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人です。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。」
    しかし、主の答えは、実は彼らの質問には答えてはいないのです。彼らは、「食べたり飲んだりするのか」と聞いたのです。彼らは再び質問します。それは「断食」についてでした。
    つまり、彼らは取税人や遊女たちのような罪人は、断食しないことを知っていたからです。しかも、ここでは「ヨハネの弟子たち」が登場します。
    「ヨハネの弟子たちはよく断食をし、祈りをしています。パリサイ人の弟子たちも同じです。ところが、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています。」
    ユダヤ人は年に一回断食しなければなりませんでした。その事はレビ記に書かれています。
    『第七の月の十日には、あなたがたは自らを戒めなければならない。この日は、あなたがたをきよめようと、あなたがたのために宥めが行われるからである。あなたがたは主の前ですべての罪からきよくなる。これがあなたがたの全き休みのための安息日であり、あなたがたは自らを戒める。これは永遠の掟である。』と。
    この断食は、大祭司が年に一回、イスラエルの民の為に、至聖所において罪の贖いの儀式の後に、課せられたものでした。また、パリサイ人たちは、週に二回ほど断食しました。
    「花婿が一緒にいるのに、花婿に付き添う友人たちに断食させることが、あなたがたにできますか。しかし、やがて時が来て、花婿が取り去られたら、その日には彼らは断食します。」
    結婚式の祝宴は一週間続きます。その間に断食するような、花婿の友人などいるはずはありません。また、花婿が取り去られる時とは、十字架のことを表わしています。その時には、弟子たちは、悲しみと絶望によって何も食べられなくなり、断食することになります。
    この後、主は、パリサイ人と律法学者たちに向けて、三つのたとえを話されました。一つは、服のほころびをつくろう話です。この意味は、今までの古い生活をすべて脱ぎ捨てて、新しいキリスト教をすっぽり着なければならないということです。
    そして、次に、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるという話です。新しいぶどう酒は発酵力が強く、そのため新しい革袋に入れたのです。古い革袋は、弾力性がなくなっていますから、新しいぶどう酒の発酵力に耐えられず、破れてしまうからです。
    また、皮袋とは私たちの心を指しています。古い皮袋とは、頑な心であり、新しい皮袋とは、柔軟性に富んだ心のことです。すなわち、み言葉に従う心、主イエスを信じ信頼する心、そして寛容な心のことなのです。そして、新しいぶどう酒とは、聖霊をも指しています。
    最後のたとえは、パリサイ人と律法学者たちに向けての言葉です。これは、「古いユダヤ教の教えに慣れ親しんだ者は、主イエスが説いている神の国の福音には、容易に耳を傾けようとはしない」と言う意味なのです。》

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