• 日々のみ言葉 2024年8月20日(火)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2024年8月20日(火)

    ◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙7章36節~38節】
    7:36 もし、処女である自分の娘の婚期も過ぎようとしていて、そのままでは、娘に対しての扱い方が正しくないと思い、またやむをえないことがあるならば、その人は、その心のままにしなさい。罪を犯すわけではありません。彼らに結婚させなさい。
    7:37 しかし、もし心のうちに堅く決意しており、ほかに強いられる事情もなく、また自分の思うとおりに行なうことのできる人が、処女である自分の娘をそのままにしておくのなら、そのことはりっぱです。
    7:38 ですから、処女である自分の娘を結婚させる人は良いことをしているのであり、また結婚させない人は、もっと良いことをしているのです。

    ◎ショートメッセージ
    《現代訳を掲載します。
    『7:36 しかし、もしだれかが自分の娘の婚期の過ぎようとしていることを知り、そのままでは、娘に対しての適切な処置を取っていないと思い、またやむをえないことがあるなら、その人が正しいと思うようにさせなさい。それは、決して罪を犯すことではない。結婚させなさい。
    7:37 しかし、もし心のうちに堅く決心して、ほかに強制される事情もなく、自分を抑制できる人が、自分の娘を独身のままにさせておくことができるなら、それは結構なことだ。
    7:38 だから、自分の娘を結婚させる父親も良いことをしているわけであり、させない父親は、さらに良いことをしていることになるだろう。』

    このパウロの勧めの根底には、当時の風習などが背景となっているかと思われます。『自分の娘を結婚させる父親は良いことをしていることになり、また結婚させず生涯独身とさせる父親は、もっと良いことをしていることになる』と勧めていますが、親が存命中であるならば、その選択肢も確かにあるかも知れません。
    しかし、やがていつの日にか、両親がこの世を去る時が必ずやって来ます。その時、その娘は一体誰を頼って生きていけば良いのでしょうか。
    結婚すれば、夫が面倒見ますし、また子どもが成人したとすれば、今度は子どもたちが、母親の面倒を見てくれるに違いありません。
    しかし、婚期を逃した女性はどうしたら良いのでしょうか。結婚していない処女の娘は、ユダヤ社会では父親の所有となっていました。また結婚は、両方の親同士で決めたのです。今の時代のように、恋愛結婚などは有り得ませんでした。ヨセフとマリアもそうだったのです。
    それゆえに、夫と妻は一年間の婚約期間を過ごすのです。そして、一年後に、晴れて婚宴が行なわれ、一緒に住むことが許されるのです。
    しかし、主の母マリアとヨセフは、婚宴が行なわれなかったのではないでしょうか。》

Comments are closed.