◇◆◇日々のみ言葉
2026年3月23日(月)
◎聖書箇所【ガラテヤ人への手紙5章22節~23節】
5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
5:23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
◎ショートメッセージ
《今日は、「寛容」について学びます。
「寛容」とは、「寛大で、よく人をゆるし受けいれること。咎めだてしないこと。または、他人の罪過を責めずにゆるすというキリスト教の重要な徳。」と、広辞苑は定義しています。
人が持つことが非常に難しいものが、この「寛容」ではないでしょうか。使徒パウロは、その書簡において、次のように勧めています。
『愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。(第Ⅰコリント13:4)』
『あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。(ピリピ4:5)』
『それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。(コロサイ3:12)』
『兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。(第Ⅰテサロニケ5:14)』
私たちは、どうしたらこの「寛容」を身につけることが出来るのでしょうか。再度ですが、はっきりと言います。出来ません。私たちの力では、出来ないのです。聖霊様の助けがなければ、出来ません。
私たちは、すぐにも人を裁きます。すぐに、判断します。すぐに白黒をつけるのです。そしてその基準は「自分」なのです。自分が「裁き主」になるのです。裁き主は、主イエス様なのに。
この心をいただけるように、主に祈り求めましょう。「寛容」こそ「愛」なのです。愛は、赦すのです。
人は、誰でも「赦せない人」がいます。過去において、どうしても赦せない人がいます。私にもいました。一人は、名古屋の柏森小学校の理科の教員であったN、そしてもう一人は、私の高校時代のピアノ教師のF、この二人が私にしたことを今でも、はっきりと思い浮かべることが出来ます。
しかし、クリスチャンになって、十字架の意味を知った後、赦すことが出来たのでした。彼らの裁きを主に委ねたのです。》