◇◆◇日々のみ言葉
2016年12月12日(月)
◎聖書箇所 【ルカの福音書5章12節~13節】
5:12 さて、イエスがある町におられたとき、全身らい病の人がいた。イエスを見ると、ひれ伏してお願いした。「主よ。お心一つで、私はきよくしていただけます。」
5:13 イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに、そのらい病が消えた。
◎ショートメッセージ
《今日から、ひとりの「らい病」にかかった人のいやしの場面の学びとなります。
私が使用しております聖書は、おもに新改訳聖書第二版ですので、訳が古く、今は使用されていない言葉が、つまり「差別的用語」が使われています。
新改訳聖書第三版では、「らい病」ではなく「ツァラアト」と言う、わけの分からない言葉に変えられており、また新共同訳聖書では「重い皮膚病」と言う言葉が使われています。
特に新改訳聖書は、原語に忠実に訳すことを目的としており、ギリシャ原語では何が使われているかと言いますと、「レプラ」なのです。これは、間違いなくハンセン病を指しています。よって本来ならば、やはり「らい病」もしくは「ハンセン病」と訳すべきことなのですが、新改訳聖書第三版は、日本語に訳すことを放棄したのです。
今現在は、「レプラ」の日本語訳として「重い皮膚病」が主流となっています。私の師である尾山令仁師の現代訳聖書では、ある版から「重い皮膚病」と置き換えられています。しかし、尾山令仁師は、講義において、どんなに考えても、三つの場面だけは、「らい病」あるいは「ハンセン病」と決断せざるを得ないと言われています。
一つは、
『「また、預言者エリシャのときに、イスラエルには、らい病人がたくさんいたが、そのうちのだれもきよめられないで、シリヤ人ナアマンだけがきよめられました。」(ルカの福音書4:27)』と、イエス様が言われた「将軍ナアマン」の場合です。
そしてもう一つは、
『ある村にはいると、十人のらい病人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください。」と言った。
イエスはこれを見て、言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中でいやされた。
そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。
そこでイエスは言われた。「十人いやされたのではないか。九人はどこにいるのか。神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」
それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」(ルカの福音書17:12~17:19)』という、十人のらい病人のいやしの場面です。
そしてもう一つが、今日から学んで行く場面です。
実は、この場面は、マタイ、マルコにも平行記事として書き記されています。三つの共観福音書に書き記されていることは、非常に重要なことであり、また真理を伝えていることになるのです。》