◇◆◇日々のみ言葉
2016年12月13日(火)
◎聖書箇所 【ルカの福音書5章12節~13節】
5:12 さて、イエスがある町におられたとき、全身らい病の人がいた。イエスを見ると、ひれ伏してお願いした。「主よ。お心一つで、私はきよくしていただけます。」
5:13 イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「私の心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに、そのらい病が消えた。
◎ショートメッセージ
《昨日に引き続き、ルカの福音書 5章12節と13節からの学びとなります。
この記事は、マタイ・マルコ・ルカの三つ共観福音書に書き記されています。なぜ三つの共観福音書にあえて、この記事が書き記されているのでしょうか。
ちなみに四つの福音書に書き記されている主イエス様の奇蹟の御わざは何かと言いますと、それはたった一つの奇蹟の御わざです。すなわち「五千人の給食」の奇蹟だけが、すべての福音書に書かれているのです。ヨハネは、三つの共観福音書の写しを持っていた可能性が高いと思われます。それでもヨハネは、「五千人の給食」の御わざだけは、あえて重複させて、割愛することをしなかったのです。それほど重要な奥義が隠されているのです。そのことについては、また別の機会で。
さて、本文に目を向けて行きましょう。
マタイによれば、
『イエスが山から降りて来られると、多くの群衆がイエスに従った。すると、ひとりのらい病人がみもとに来て、ひれ伏して言った。「主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります。」イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「私の心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに彼のらい病はきよめられた。(マタイの福音書8:1~8:3)』となっています。
そしてマルコによれば、
『さて、ひとりのらい病人が、イエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。「お心一つで、私はきよくしていただけます。」イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「私の心だ。きよくなれ。」すると、すぐに、そのらい病が消えて、その人はきよくなった。(マルコの福音書1:40~1:42)』となっています。
三つの共観福音書から判断しますと、イエス様が祈っておられた山から降りて来て、ある町に入られ、多くの群衆が主イエス様のあとに従っていた時のことです。
人々の見ている間に、そこへひとりのらい病人がイエス様の御前に近づいて来たのです。
律法によれば、彼は汚れた存在であって、人々の間を通る時には、「私は汚れています。私は汚れています。」と叫んで、歩かなければなりませんでした。
おそらくその時、人々は、彼が近づいて来ると、後ずさりをしたと思います。そしてイエス様が、そのらい病人をどう扱うのかを、黙ってじっと見ていたに違いありません。
彼が近づいて、ひざまずき、「主よ。お心一つで、私はきよくしていただけます。」と言うと、イエス様は、手を伸ばして、彼にさわられたのです。もちろんこれは、今現在でも考えられないことです。感染の可能性がある限り、互いに触れるべきではありません。
しかしイエス様は、単なる人ではなく、神様でもあられました。それゆえ、深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われたのです。「私の心だ。きよくなれ。」
すると、すぐに、そのらい病が消えて、その人はきよくなったのです。癒やされたのです。この時、イエス様は彼のらい病を癒やしただけではなく、心の傷をも癒やされたのです。
イエス様のお心は、ただ一つです。すべての病気は決してイエス様の御心ではありません。イエス様の御心は、誰もが健康であることです。そして「病にかかっている者は、私の所に来なさい。」と言うことが御心なのです。このお方は、どんな病も心の傷をもいやして下さるお方です。愛のお方です。このお方は、私たちに触れて下さるのです。》