◇◆◇日々のみ言葉
2018年6月16日(土)
◎聖書箇所【ルカの福音書23章22節~25節】
23:22 しかしピラトは三度目に彼らにこう言った。「あの人がどんな悪いことをしたというのか。あの人には、死に当たる罪は、何も見つかりません。だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。」
23:23 ところが、彼らはあくまで主張し続け、十字架につけるよう大声で要求した。そしてついにその声が勝った。
23:24 ピラトは、彼らの要求どおりにすることを宣告した。
23:25 すなわち、暴動と人殺しのかどで牢にはいっていた男を願いどおりに釈放し、イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた。
◎ショートメッセージ
《主イエス様が最後に裁かれたポンテオ・ピラトによる裁判は、四つの福音書のすべてに書き記されています。
ルカは、ピラトによる一回目の尋問と最終裁判の間に、ガリラヤ国主ヘロデ・アンティパスによる尋問(裁判)を加え、三つの裁判を記しています。
そのうちの二つについてはすでに学びましたから、今日は最終裁判について学ぶことにします。
ポンテオ・ピラトは、四回もイエス様の無罪について主張しました。
一、『「この人には何の罪も見つからない。」(ルカの福音書23:4)』
二、『「あなたがたは、この人を、民衆を惑わす者として、私のところに連れて来たけれども、私があなたがたの前で取り調べたところ、あなたがたが訴えているような罪は別に何も見つかりません。」(ルカの福音書23:14)』
三、『「見なさい。この人は、死罪に当たることは、何一つしていません。」(ルカの福音書23:15)』
四、『「あの人がどんな悪いことをしたというのか。あの人には、死に当たる罪は、何も見つかりません。」(ルカの福音書23:22)』
そして三回も釈放の提案をしたのです。
一、『「だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。」(ルカの福音書23:16)』
二、『ピラトは、イエスを釈放しようと思って、彼らに、もう一度呼びかけた。(ルカの福音書23:20)』
三、『だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。」(ルカの福音書23:22)』
それにもかかわらず、ユダヤ人指導者たちの強硬な要求に、ついに屈し、イエス様を十字架につけたことを、ルカは鮮明に描いています。
なぜピラトが民衆の声に屈してしまったのかと言いますと、それには理由がないわけではありません。
彼は着任早々、エルサレムへカイザルの胸像の付いた軍旗を持ち込みました。それを知ったユダヤ人の指導者たちは、それが偶像であるとして、カイザリヤへ大挙して押し寄せ、その旗の撤去を連日訴えたのです。
ユダヤ人の指導者たちは、死をも辞さない意気込みで、ついにピラトは彼らの要求を受け入れざるを得ませんでした。こうした苦い経験がピラトにはあったのです。
それだけではありません。
ローマ帝国は、地元民から直訴する権限が認められていました。そして実際に、直訴によって失脚した総督もいたのです。ピラトはそれを恐れたのです。
ヨハネの福音書には、ユダヤ人たちが、ピラトを脅迫したことが書かれています。
『こういうわけで、ピラトはイエスを釈放しようと努力した。しかし、ユダヤ人たちは激しく叫んで言った。「もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王だとする者はすべて、カイザルにそむくのです。」(ヨハネの福音書19:12)』と。
ピラトは、神様よりも人を恐れたのです。人の声を恐れたのです。》