• 2019年9月15日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2019年9月15日第三主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書19章17節~22節】 (新約p.202上段右側)
    19:17 彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた。
    19:18 彼らはそこでイエスを十字架につけた。イエスと一緒に、ほかのふたりの者をそれぞれ両側に、イエスを真中にしてであった。
    19:19 ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掲げた。それには「ユダヤ人の王ナザレ人イエス。」と書いてあった。
    19:20 それで、大ぜいのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったからである。またそれはヘブル語、ラテン語、ギリシヤ語で書いてあった。
    19:21 そこで、ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「ユダヤ人の王、と書かないで、彼はユダヤ人の王と自称した、と書いてください。」と言った。
    19:22 ピラトは答えた。「私の書いたことは私が書いたのです。」

    ◎メッセージの概要【罪状書きとは?】
    《ついに「十字架刑」の決定がなされ、ポンテオ・ピラトは、主イエス様を部下のローマ兵に引き渡しました。ここで「彼らはイエスを受け取った」とヨハネが書いていますこととは、「祭司長たちの望む通りになったこと」を表わしています。
     なぜなら十字架刑は、ローマ兵によって執行されるものであり、その罪状は「ローマ帝国反逆罪」なのです。しかしポンテオ・ピラトは、主イエス様が反逆罪を犯したとは思っていません。反逆罪は、本来この日に処刑されるはずであったバラバが受けるべきものです。この時、主イエス様は真に、私たちの身代わりとして、そして具体的には、極悪犯罪人バラバの身代わりとして、十字架にかけられることになるのです。
     他に二人の犯罪人が、主イエス様と共に十字架にかけられます。この二人については、すでにこの日の処刑が定められていたことになります。
     主イエス様も、二人の犯罪人も自分がくくりつけられる十字架を担いで、どくろの地に歩いて行くことになります。この十字架については、二つの説があって、一つは木で作られた十字架そのものです。もう一つの説は、十字架の縦の杭ではなく、横木と言う説です。どちらなのかは分かりかねますが、私は真ん中の十字架につけられるメインの者は、そのままの十字架(おそらく重さは100キロ以上)であって、その左右につけられる者たちは、横木ではなかったのではないでしょうか。
     なぜならクレネ人シモンが、主イエス様に代わって担ぐのは、聖書は明確に「十字架」と書き記しているからです。主イエス様は、悲しみの道(ヴィア・ドロローサ)を上って行かれます。そして「どくろ」と呼ばれている場所まで歩いて行かれるのです。
     この場所がどこであるのかは、いろいろな説がありました。一番可能性の高い場所には、今現在、聖墳墓教会が建っています。しかし、どう考えても、その場所には、「どくろ」の影形も見当たりません。
     近年、新しい場所が発見されました。しかも、イエス様が葬られたアリマタヤのヨセフの墓ではないかと言われる「園の墓」が発見されたのです。その墓の近くに発見された場所があります。これを発見したのは、1883年英国の軍人であるチャールズ・ゴードンであります。
     この場所がほぼイエス様が十字架に掛けられた真の場所であることは、聖書が証言しているのです。実はこの崖の前に、エルサレムからの街道が通っています。
     何と現在では、その前に車道が通り、バス停があるそうです。マタイの福音書27:32には、『そして、彼らが出て行くと、シモンというクレネ人を見つけたので、彼らは、この人にイエスの十字架を、むりやりに背負わせた。』と書かれてあって、都上りしていたクレネ人シモンをローマ兵が捕まえるのです。そればかりではありません。マタイの福音書27:39~40には、『道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしった。』と書かれています。
     普段、映画や絵画で見ますゴルゴタは、丘の上に3本の十字架が立っている構図が多いと思います。しかし道行く人が、どうして街道を外れて、死刑が行なわれた丘の上をあえて通るようなことをするのでしょうか。しかも十字架刑は、「反逆罪」なのです。見せしめなのです。人々に見えない場所に掲げても何の効果も意味もあるはずはありません。よって街道そばのこの崖の前で、イエス様と二人の強盗の処刑が行なわれたと考えられるのです。
     次にポンテオ・ピラトは「罪状書き」を掲げます。普段は、罪状書きを書かなかったのです。この時書いたからこそ、ルカはあえて書き記しているのです。
     大祭司カヤパと祭司長たちが、イエス様をポンテオ・ピラトの前に引き出した時、ピラトの最初の質問は何でしたか。
    「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」
     そして、その答えが、「そのとおりです。」
     この言葉の響きから、嘘偽りは一切認められず、威厳と力と権威に満ち溢れていたのです。
     だから、ピラトは罪状書きに「ユダヤ人の王ナザレ人イエス。」と書いたのです。そして、その当時、エルサレムにて使用されていた3つの原語、すなわちヘブル語、ギリシャ語、そしてラテン語を用いて、同じ意味の言葉を書いたのです。ピラト自身が、3つの原語で書いたことは、ほぼ間違いないことでしょう。なぜなら、「私の書いたことは私が書いたのです。」と言っていますから。
     この当時のパレスチナでは、公用語としてギリシャ語と、ローマ本国の言葉であるラテン語が用いられていました。もちろんヘブル語も使用されていましたが、主に宗教関係者すなわちパリサイ人や律法学者たち、祭司長や祭司たち、最高議会などで使われていたようです。
     しかしユダヤ人は、バビロン捕囚後、ヘブル語よりもアラム語を日常で用いていたと言われています。よってイエス様と十二使徒たちはアラム語で会話していたことになります。
     ここで不思議なことがあります。それは新約聖書はすべてギリシャ語で書かれていると言うことです。
     カペナウムの取税人であったレビは、ヘブル語、アラム語、そしてギリシャ語を知っていたことになります。そればかりではありません。主の愛された弟子ヨハネも、その福音書と3通の書簡をギリシャ語で書き記しています。また幼い頃から、ヘブル語聖書に慣れ親しんでいますから、ヘブル語も話し、通常は、主イエス様や他の十二使徒とはアラム語で会話していたことになります。
     さて、罪状書きには、本来その罪が書かれるはずです。しかしピラトは、「ユダヤ人の王ナザレ人イエス。」と書いたのです。
     ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「ユダヤ人の王、と書かないで、彼はユダヤ人の王と自称した、と書いて下さい。」と訴えたのですが、自称した者をどうしてそれだけの理由で死刑に出来るのでしょうか。
    「私の書いたことは私が書いたのです。」
     ピラトはそのように言いましたが、本当は神様がそのように言わせたのです。罪状書きには「ユダヤ人の王ナザレ人イエス。」と書かれ、本当に主は、その通りの者として、すなわち王として死んで行かれます。
     カヤパを始めとする祭司長たちは、本当に「王なるお方」を、異邦人に売り渡し、十字架に着けたことになります。その報いは三十数年後にやって来ます。
     また、罪状書きは、イエス様の頭上に打ち付けられたのではありません。ゴルゴタの地の崖の前で十字架に掛けられたのですから、その横の壁のイエス様の頭上の位置に、大きな板が直に壁に打ち付けられたのです。映画や絵画のように、十字架そのものの上の位置に掲げられたのではないのです。》

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