◇◆◇日々のみ言葉
2022年4月7日(木)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙3章1節~8節】
3:1 それでは、ユダヤ人のすぐれている点は何ですか。割礼に何の益があるのですか。
3:2 あらゆる点から見て、それは大いにあります。第一に、彼らは神のことばを委ねられました。
3:3 では、どうですか。彼らのうちに不真実な者がいたなら、その不真実は神の真実を無にするのでしょうか。
3:4 決してそんなことはありません。たとえすべての人が偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。「それゆえ、あなたが告げるとき、あなたは正しくあられ、さばくとき、勝利を得られます」と書いてあるとおりです。
3:5 では、もし私たちの不義が神の義を明らかにするのなら、私たちはどのように言うべきでしょうか。私は人間的な言い方をしますが、御怒りを下す神は不義なのでしょうか。
3:6 決してそんなことはありません。もしそうなら、神はどのようにして世界をさばかれるのですか。
3:7 では、もし私の偽りによって神の真理がますます明らかにされて、神の栄光となるのなら、どうして私はなおも罪人としてさばかれるのですか。
3:8 「善をもたらすために悪を行おう」ということになりませんか。私たちがそう言っていると、ある者たちから中傷されています。そのように中傷する者たちが、さばきを受けるのは当然です。
◎設問
1. ユダヤ人の罪が暴露されると、ユダヤ人が神に選ばれた理由が当然に問題になってきます。ユダヤ人はどのような点で優れていますか。(1~2)
2. 人間が罪を犯し、そのことによって神様の正しさと真理が明らかにされ、神の栄光になるとしたら、その人間の罪が神の正しさや真理の宣揚に一役買ったことになり、その功績が認められてもよいのに、かえって神様がその人を罪人として裁かれるのは、矛盾して、間違ったことではないかと言う人がいるが、そのような議論に対して、パウロはどのように考えていますか。(5~8)