• 2022年4月10日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【マタイの福音書21章1節~17節】(新約聖書p.42上段左側)
    21:1 さて、一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来たそのとき、イエスはこう言って、二人の弟子を遣わされた。
    21:2 「向こうの村へ行きなさい。そうすればすぐに、ろばがつながれていて、一緒に子ろばがいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、私のところに連れて来なさい。
    21:3 もしだれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐに渡してくれます。」
    21:4 このことが起こったのは、預言者を通して語られたことが成就するためであった。
    21:5 「娘シオンに言え。『見よ、あなたの王があなたのところに来る。柔和な方で、ろばに乗って。荷ろばの子である、子ろばに乗って。』」
    21:6 そこで弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、
    21:7 ろばと子ろばを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。そこでイエスはその上に座られた。
    21:8 すると非常に多くの群衆が、自分たちの上着を道に敷いた。また、木の枝を切って道に敷く者たちもいた。
    21:9 群衆は、イエスの前を行く者たちも後に続く者たちも、こう言って叫んだ。「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。」
    21:10 こうしてイエスがエルサレムに入られると、都中が大騒ぎになり、「この人はだれなのか」と言った。
    21:11 群衆は「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言っていた。
    21:12 それから、イエスは宮に入って、その中で売り買いしている者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。
    21:13 そして彼らに言われた。「『私の家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしている。」
    21:14 また、宮の中で、目の見えない人たちや足の不自由な人たちがみもとに来たので、イエスは彼らを癒やされた。
    21:15 ところが祭司長たちや律法学者たちは、イエスがなさったいろいろな驚くべきことを見て、また宮の中で子どもたちが「ダビデの子にホサナ」と叫んでいるのを見て腹を立て、
    21:16 イエスに言った。「子どもたちが何と言っているか、聞いていますか。」イエスは言われた。「聞いています。『幼子たち、乳飲み子たちの口を通して、あなたは誉れを打ち立てられました』とあるのを、あなたがたは読んだことがないのですか。」
    21:17 イエスは彼らを後に残し、都を出てベタニアに行き、そこに泊まられた。から彼らは、アジアでみ言葉を語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギア・ガラテヤの地方を通って行った。

    ◎メッセージ【しゅろの日曜日】
    《今週は「受難週」です。その受難週の最初の日である日曜日が、「しゅろの日曜日」の祝いの日です。今回は、マタイの福音書から、主イエスが「しゅろの日曜日」に示された旧約聖書における預言の成就を見て行きたいと思います。
     ヨハネによりますと、「さて、イエスは過ぎ越しの祭りの六日前にベタニアに来られた」となっています。マルタの妹マリアが主イエスに、ナルドの香油を惜しみなく振りかけたのは、しゅろの日曜日の夕食の時であったと考えられます。
     このしゅろの日曜日において、ご自身こそが神の御子であられることを、ユダヤ人の指導者たちに、そして弟子たちにお示しになられます。特に、ゼカリヤ書の預言が成就します。
    『娘シオンよ大いに喜べ。娘エルサレムよ喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたの所に来る。義なる者で勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。』と。
     人々は、木(しゅろの木)の枝を振って、主イエスをお迎えするのです。詩篇118篇には、『祝福あれ。主の御名によって来られる方に。私たちは主の家からあなたがたを祝福する。主こそ神。主は私たちに光を与えられた。枝をもって祭りの行列を組め。祭壇の角の所まで。』と書かれています。 
     それから主イエスは神殿の異邦人の庭に入られます。そして、宮きよめをなされるのです。
    「『私の家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしている。」
     ここで、主イエスが引用された聖書箇所は、イザヤ書とエレミヤ書です。
    『私の聖なる山に来させて、私の祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のささげ物やいけにえは、私の祭壇の上で受け入れられる。なぜなら私の家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ。』と、イザヤは預言し、エレミヤは、
    『「私の名がつけられているこの家は、あなたがたの目に強盗の巣と見えたのか。見よ、この私もそう見ていた。」』と預言しています。
     実は、ヨハネの福音書によりますと、この宮きよめは、何と二回目になるのです。主イエスは、公生涯の初期において、エルサレムに巡礼に行かれたことが書かれています。
     『さて、ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。そして、宮の中で、牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを見て、細縄でむちを作って、羊も牛もみな宮から追い出し、両替人の金を散らして、その台を倒し、鳩を売っている者たちに言われた。
    「それをここから持って行け。私の父の家を商売の家にしてはならない。」
     すると、ユダヤ人たちがイエスに対して言った。
    「こんなことをするからには、どんなしるしを見せてくれるのか。」』
     この質問の答えが公生涯最後の二回目の宮きよめでなされたのです。マタイの福音書には、
    『また、宮の中で、目の見えない人たちや足の不自由な人たちがみもとに来たので、イエスは彼らを癒やされた。』と書かれており、イザヤが預言した、メシアのしるしである奇跡を行なわれたのです。
     この「しゅろの日曜日」こそが、主ご自身が、エルサレムに入場された時に、イスラエルの神様として、そして全人類の救い主として、おおやけに示された日でもあるのです。しかし、それでも祭司長たちやパリサイ人や律法学者たちは、主イエスを信じようとはしません。その五日後に彼らは、異邦人の手によって、主イエスを十字架につけることになるのです。
     今日は、しゅろの日曜礼拝です。主イエスが、まことの神様としてエルサレムに入場されました。何の為に。私たちの罪の身代わりとして、十字架にかかる為にです。》

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