◇◆◇日々のみ言葉
2022年6月15日(水)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙3章27節~28節】
3:27 それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。行ないの原理によってでしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです。
3:28 人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。
◎ショートメッセージ
《ここでも、現代訳を掲載します。
『3:27 このように見てくると、私たちに誇れるものなどあるだろうか。どこにもありはしない。なぜかと言えば、私たちは自分の善行によって救われたのではなく、神の救いの御わざを信じ受け入れただけである。
3:28 だから、私たちが救われるのは、律法を行なうことによるのではなく、キリストを信じることによるだけだというのが、私たちの主張しているところにほかならない。』
新改訳の訳では、確かに古代ギリシャ原語に忠実なのですが、やはり難しく、また真の意味がぼやけてしまっている印象が強いのです。特に、「原理」という言葉は、いったい何を指して言っているのか、意味不明なのです。
また「人が義と認められる」と言う訳も、分かるようで分かりにくい表現なのです。現代訳は明確に、「私たちが救われる」という表現に置き換えています。
主イエス様が、十字架にかかって下さったのは、私の罪の為であり、本来は私自身が十字架にかかって死んで、罪の償いをしなければならないにも関わらず、私が永遠に生きる為に、身代わりとして、何一つ罪を犯されなかった主イエス様が、死んで下さったのです。その真実を、その事実を心から信じ、受け入れたからこそ、私は神の子どもとされました。
そして、主イエス様は三日目によみがえられたのです。それこそ、私がよみがえる為にです。これが「福音」です。これが「良き知らせ」です。これこそが、人生最大の目的なのです。
救い主であられ、この世界の創造主なる神様であるお方、主イエス様に出会い、主の霊であられる聖霊様と共に歩む人生こそが、最も成功した偉大な人生なのです。》