◇◆◇日々のみ言葉
2022年6月20日(月)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙4章9節~12節】
4:9 それでは、この幸いは、割礼のある者にだけ与えられるのでしょうか。それとも、割礼のない者にも与えられるのでしょうか。私たちは、「アブラハムには、その信仰が義とみなされた。」と言っていますが、
4:10 どのようにして、その信仰が義とみなされたのでしょうか。割礼を受けてからでしょうか。まだ割礼を受けていないときにでしょうか。割礼を受けてからではなく、割礼を受けていないときにです。
4:11 彼は、割礼を受けていないとき信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないままで信じて義と認められるすべての人の父となり、
4:12 また割礼のある者の父となるためです。すなわち、割礼を受けているだけではなく、私たちの父アブラハムが無割礼のときに持った信仰の足跡に従って歩む者の父となるためです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『4:9 それでは、この幸いは、割礼を受けたユダヤ人だけに与えられるものであろうか。それとも、割礼のない異邦人にも与えられるものであろうか。と言うのは、私たちは、「アブラハムは信じて救われた」と言っているが、
4:10 それでは、彼はどのような時に救われたのか。割礼を受けてからか、それとも、受ける前か。それは、割礼を受けてからではなく、まだ割礼を受ける前であった。
4:11 そして、まだ割礼を受けていない時に、信じて救われ、その救われた印として割礼を受けた。それは、彼が割礼の無いままで、信じて救われるすべての人の父となるためであり、
4:12 また、割礼を受けているユダヤ人だけでなく、割礼を受けていない時に持った彼の信仰の足跡に従って歩むすべての人の父となるためである。』
ここで、使徒パウロが言います「幸い」とは、前回の箇所のことです。すなわち、
『「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。主が罪を認めない人は幸いである。」(新改訳)』
『「罪を赦され、罪をすっかり覆われた人は、幸いだ。主がもはや罪をお認めにならない人は、なんと幸いなことだろう。」(現代訳)』と言うことです。
そして、
「割礼のある者」とは、ユダヤ人のことです。また、「割礼の無い者」とは、異邦人のことを指しています。
神様は、ユダヤ人の男性に対して、アブラハムの子孫としての契約の印として、割礼を命じられました。主イエスも、律法に従って八日目に割礼を施されています。
しかし、割礼が救われた印ではなく、主イエス・キリストを信じる信仰によって救われるのです。それゆえに、異邦人の救いは、聖書に沿ったものであることを、使徒パウロは、明確にしています。
この手紙の書かれた当時も、未だに「割礼」の問題がくすぶっていたことが、感じ取れます。》