◇◆◇日々のみ言葉
2022年6月21日(火)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙4章9節~12節】
4:9 それでは、この幸いは、割礼のある者にだけ与えられるのでしょうか。それとも、割礼のない者にも与えられるのでしょうか。私たちは、「アブラハムには、その信仰が義とみなされた。」と言っていますが、
4:10 どのようにして、その信仰が義とみなされたのでしょうか。割礼を受けてからでしょうか。まだ割礼を受けていないときにでしょうか。割礼を受けてからではなく、割礼を受けていないときにです。
4:11 彼は、割礼を受けていないとき信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないままで信じて義と認められるすべての人の父となり、
4:12 また割礼のある者の父となるためです。すなわち、割礼を受けているだけではなく、私たちの父アブラハムが無割礼のときに持った信仰の足跡に従って歩む者の父となるためです。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。
「信仰の父」と呼ばれたアブラハムのことについて考えてみたいと思います。創世記には、アブラハムが父テラと別れて、出て行く場面が描かれています。
『その後、主はアブラムに仰せられた。
「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、私が示す地へ行きなさい。そうすれば、私はあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者を私は祝福し、あなたをのろう者を私はのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼と一緒に出かけた。アブラムがカランを出たときは、七十五歳であった。アブラムは妻のサライと、おいのロトと、彼らが得たすべての財産と、カランで加えられた人々を伴い、カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地にはいった。(創世記12:1~12:5)』
アブラハム(アブラム)は、主の言葉を信じて、父テラと別れ、カナンの地に向かって出て行きました。この行ないこそが、アブラハムの信仰を表しています。この後に、何度も失敗を重ねたりしますが、アブラハムは主に従い通すのです。
彼に取って最大の試練は、やはりモリヤ山における、約束の子イサクを全焼の生け贄として捧げることでした。しかし、この時にも、アブラハムは主に従い通すのです。 もちろん、御使いが現われて止めたことは言うまでもありません。アブラハムには、たとえ死んだとしても、神様にはイサクをよみがえらせる力があることを信じきっていたのです。
現在においても、ユダヤ人は、割礼を守り続けています。それが伝統であり律法であり、またユダヤ人がユダヤ人たる、確固たる証拠なのですから。》