※本日の聖書箇所「ルカの福音書10章12節~16節」(新約p.135上段右側)
10:12「あなたがたに言います。その日には、ソドムのほうが、その町よりもさばきに耐えやすいのです。
10:13 ああ、コラジン。ああ、ベツサイダ。おまえたちの間で行なわれた力あるわざが、ツロとシドンで行なわれていたら、彼らはとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって座り、悔い改めていたことだろう。
10:14 しかし、さばきのときには、ツロとシドンのほうが、おまえたちよりもさばきに耐えやすいのだ。
10:15 カペナウム、おまえが天に上げられることがあるだろうか。よみにまで落とされるのだ。
10:16 あなたがたに耳を傾ける者は、私に耳を傾け、あなたがたを拒む者は、私を拒むのです。私を拒む者は、私を遣わされた方を拒むのです。」
◎メッセージ【クリスチャンとしての権威と責任】
《「あなたがたに言います。その日には、ソドムのほうが、その町よりもさばきに耐えやすいのです。」
主は、アブラハムに言われます。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、彼らの罪はきわめて重い。」』と。この後、アブラハムによる取りなしが始まります。しかしソドムには、10人の正しい者さえいなかったのです。そして、哀れみによって、ロトと妻と二人の娘が助け出されますが、妻は振り返った為、塩の柱となってしまいます。
引き続き主は、コラジンとベツサイダを名指しされます。コラジンは、カペナウムから北西約3キロ先の所にあった町のことです。また、ベツサイダとは、「漁師の家」という意味で、アンデレとペテロ、そしてピリポの故郷の町のことです。そこで主は盲人をいやされました。
次に主は、「カペナウム、おまえが天に上げられることがあるだろうか。よみにまで落とされるのだ。」と言われます。
これは衝撃的です。なぜなら、ガリラヤ伝道の宣教基地として、シモン・ペテロの家を中心として、多くの人々の病をいやし、悪霊から解放したのもカペナウムであったからです。
今現在、コラジン、ベツサイダ、カペナウムともすべて、廃墟と化しています。主イエスがご自身はメシヤである奇跡やしるしを行なわれたにも関わらず、彼らは主イエスを信じ、受け入れなかったからです。ここから、病の癒やしと解放と、霊と魂の救いとは、別のものであることが分かります。そして、主イエスは言われます。
「あなたがたに耳を傾ける者は、私に耳を傾け、あなたがたを拒む者は、私を拒むのです。私を拒む者は、私を遣わされた方を拒むのです。」
この言葉に、私たちクリスチャンとしての権威と責任が問われています。主イエスは昇天される直前に、オリーブ山において、十一使徒たちに、言葉を託されたのです。
「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は救われます。しかし信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、私の名によって悪霊を追い出し、新しい言葉で語り、その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒やされます。」と。
福音(良き知らせ)を伝える役割が、私たちに委ねられています。福音とは、今も生きておられる主イエス様のことです。主イエス様の人格のことです。私たちのするべきことは、主の証人として、主イエスと出会い救われた証しをすることなのです。》