• 日々のみ言葉 2022年6月24日(金)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2022年6月24日(金)

    ◎聖書箇所【ローマ人への手紙4章18節~19節】
    4:18 彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。
    4:19 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。

    ◎ショートメッセージ
    《現代訳を掲載します。
    『4:18彼は、神が、「あなたの子孫はこのようになる」と言われた時、その約束が実現するとは、到底思えなかったにもかかわらず、神が約束されたことに望みを置いて、信じた。
    4:19 アブラハムは約百歳になって、もはや子種を持っているとは思われず、またサラも年老いて、子どもを宿せるとは思えなかったことを知りながらも、彼の信仰は弱らなかった。』

     パウロは、アブラハムのことについて述べています。それは、なぜユダヤ人の祖先であるアブラハムが、「信仰の父」と呼ばれたのか、また「すべての人の父」と言われるようになったのか、そのことを順序立てて、異邦人であるローマ人の主にある兄弟姉妹に説明しているのです。

     実際問題として、約百歳の男に、そして九十歳の女に子どもが出来るのでしょうか。この当時、実はまだ、旧世界の生き残り、ノアの息子セムは生きていたと思われます。 このセムから、アブラハムはアダムからの人類の歴史について聞き及んでいたと思われます。
     セムとは、メルキゼデクのことです。シャレム(エルサレム)の王であり、神の大祭司でありました。ノアは950年生きました。しかもアブラハムが生まれる2年ほど前に召されます。と言うことは、まだ人類の寿命は長かったのです。アブラハムとセムは、約150年近く重なっています。セムは、602年生きました。

     よって結論から言えば、旧世界と新世界の橋渡し時代に生きていたアブラハムは、確かに百歳であったかも知れませんが、肉体的にはまだ若かったのではないでしょうか。サラも同じように。》

Comments are closed.