◇◆◇日々のみ言葉
2022年6月26日(日)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙4章23節~25節】
4:23 しかし、「彼の義とみなされた。」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、
4:24 また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。
4:25 主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『4:23 しかし、「救われた」と旧約聖書に書かれているのは、ただ彼のためだけではなく 4:24 また、私たちのためでもあって、私たちの主イエスを死人の中から復活させた、父である神を信じる私たちも、救われる。
4:25 主イエスは、私たちが犯した罪のために死なれ、私たちが罪から救い出されるために、復活されたのである。』
新改訳では、「彼の義とみなされた」と訳されていますが、現代訳では、「救われた」となっています。実際に、「義とみなされる」と言う表現はかなり難解であると思われるのです。単純に「救われた」と言う方が、分かりやすいのではないでしょうか。
たとえば、クリスチャン同志で、「あなたは、何時、義とされましたか」と聞く人は、誰もいないと思うのです。
むしろ、「あなたは、いつ救われましたか」と聞くのが、一般的ではないでしょうか。
もっとも、この表現も私はあまり好きではありません。もっと分かりやすく、そして人間側からの目線で、「あなたは、いつイエス様と出会いましたか」の方が、良いのではないでしょうか。
「救い」とは、救い主であられる主イエス様との個人的な出会いだと私は思うのです。なぜなら、私自身がそうであったからです。
神様は人格をお持ちです。父なる神様も。主イエス様も。そして、助け主として、慰め主として、何時も私たちと共にいて下さる聖霊様も、人格を持っておられます。その人格との交わりこそが、救われた印であり証拠なのではないでしょうか。
明日も同じ箇所からです。》