◎本日の聖書箇所【使徒の働き17章22節~34節】(新約聖書p.270下段左側)
17:22 パウロは、アレオパゴスの中央に立って言った。「アテネの人たち。あなたがたは、あらゆる点で宗教心にあつい方々だと、私は見ております。
17:23 道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られていない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけたからです。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを教えましょう。
17:24 この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手で造られた宮にお住みにはなりません。
17:25 また、何かが足りないかのように、人の手によって仕えられる必要もありません。神ご自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられるのですから。
17:26 神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。
17:27 それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。
17:28 『私たちは神の中に生き、動き、存在している』のです。あなたがたのうちのある詩人たちも、『私たちもまた、その子孫である』と言ったとおりです。
17:29 そのように私たちは神の子孫ですから、神である方を金や銀や石、人間の技術や考えで造ったものと同じであると、考えるべきではありません。
17:30 神はそのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今はどこででも、すべての人に悔い改めを命じておられます。
17:31 なぜなら、神は日を定めて、お立てになった一人の方により、義をもってこの世界をさばこうとしておられるからです。神はこの方を死者の中からよみがえらせて、その確証をすべての人にお与えになったのです。」
17:32 死者の復活のことを聞くと、ある人たちはあざ笑ったが、ほかの人たちは「そのことについては、もう一度聞くことにしよう」と言った。
17:33 こうして、パウロは彼らの中から出て行った。
17:34 ある人々は彼につき従い、信仰に入った。その中には、アレオパゴスの裁判官ディオヌシオ、ダマリスという名の女の人、そのほかの人たちもいた。
◎メッセージ【アレオパゴスでの証言】
《今日は、パウロがアテネの「アレオパゴス評議会」で行なった「証言」について、共に考えて見たいと思います。パウロは、アレオパゴスに対して、非常に敬意を表わし、なおかつ言葉を選び、そして相手の立場を尊重し話を進めています。このやり方は、まさにパウロ自身が、「コリント教会への手紙」に証言している通りです。
『私は誰に対しても自由ですが、より多くの人を獲得する為に、すべての人の奴隷になりました。すべての人に、すべてのものとなりました。何とかして何人かでも救う為です。』と。
さて、パウロは、たった一人で議会の真ん中に立ったのです。かつて同じ様な光景がありました。しかし、その時にはサウロとして、サンヘドリン議会の中の議員の一人でした。真ん中に立ったのは、最初の殉教者ステパノです。ステパノは聖霊に満たされて、ただ一人で弁明したのです。ルカは、『最高法院で席に着いていた人々が、みなステパノに目を注ぐと、彼の顔は御使いの顔のように見えた。』と証ししています。
パウロもこの時、聖霊に満たされ、『知られていない神』について、解き明かします。何が知られていないかと言いますと、まずその名前なのです。ホレブ山における「燃え尽きない柴」の場所で、神様に出会ったモーセが、最初に質問したのも「その名は何ですか」でした。
しかし、パウロはメッセージの中において、一回も「主の御名」を語ってはいないのです。あえて、主の御名を伏せているのです。パウロが語り終えて、アレオパゴスから出て行った時に、つき従った者たちがいます。その者たちには、パウロが語る『知られていない神』の正体について、もっと知りたいと言う願望が起こされたのです。
以前、使徒ペテロとヨハネが捕らえられ、サンヘドリン議会の証言の席に立たされた時、ペテロは聖霊に満たされて、はっきりと主の御名について証ししています。もちろん、この時にもサウロは同席していました。
『「私たちが今日取り調べを受けているのが、一人の病人が何によって癒やされたのかということの為なら、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの名によることです。」』と。ペテロは、短く福音の奥義を語っています。
しかし、アテネのアレオパゴスで、パウロが「復活」について語った時、ある者たちはあざ笑ったとあります。それでも、パウロの語る言葉に、真理に目覚めた者たちがいたのです。彼らはパウロの後を追い、さらに深い福音の奥義を教えられ、ついに主イエスを信じるのです。ここに教会が誕生しました。ルカは、ここで二人の人物について名前を明かしています。
一人が「アレオパゴスの裁判官ディオヌシオ」で、もう一人が「ダマリス」という名の女の人です。ディオヌシオは、アテネの有力者で、後にアテネ教会の初代監督になったと伝えられています。また、ダマリスは、「若い雌牛」という意味で、外国人で教養のある遊女の一人ではなかったかと、推測されています。この二人こそ、アテネ教会の指導者となる者たちなのです。神様は、どんな場所でも、どんな状況であっても、すべてのことを働かせて益として下さることを、私たちは知っています。この二人が、パウロが連れて来られた時に、アレオパゴスにいたことも偶然ではなく、神様の摂理の中に、必然であったことが分かります。》