◇◆◇日々のみ言葉
2022年7月13日(水)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙6章1節~2節】
6:1 それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。
6:2 絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からです。再度、現代訳を掲載します。
『6:1 それでは、私たちは救いの恵みのすばらしさがますます分かるために、罪の中にとどまっていた方がよいのだろうか。
6:2 とんでもないことだ。罪に対して死んだはずの私たちが、どうして罪の中に生きてなどいられるだろうか。』
今日は、『罪に対して死んだ(はずの)私たち』について考えて見ましょう。
パウロは、コロサイ書において、このように教えています。
『あなたがたは、バプテスマによってキリストと共に葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストと共によみがえらされたのです。
あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストと共に生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。(コロサイ2:12~2:14新改訳)』
ここから、私たちの罪はすべて、主イエス・キリストの十字架に釘付けにされたことが分かります。もちろん、その事実を信じ受け入れ、悔い改めて、主イエスを心の中心にお迎えした者が、受け取ることが出来ることは言うまでもありません。
主イエス様は、すべての人の身代わりとなって、十字架上において、罪を背負われ、本来、私たちが受けるべき裁きをすべて受けて下さったのです。
しかし、だからと言って、誰もが自動的に、その恵みを、赦しを、救いを受け取れるわけではないのです。
自分が罪人であることを認め、悔い改めなければなりません。そして、主イエス様を信じなければならないのです。救い主として受け入れなければならないのです。
このお方は、紛れもなく「すべての人の主」です。そして、その事実を真実を誰もが知る時が、必ず訪れることになります。》