◇◆◇日々のみ言葉
2022年7月17日(日)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙6章7節~8節】
6:7 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。
6:8 もし私たちがキリストと共に死んだのであれば、キリストと共に生きることにもなる、と信じます。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『6:7 というのは、死んでしまえば、どんな罪の誘惑からも自由にされている。
6:8私たちはキリストと共に死んだのであるから、キリストと共に今生きていることを信じないわけにはいかない。』
新改訳は、「死んでしまった者は、罪から解放されている」と訳していますが、これは誤解を与えかねない訳です。人は、自分が犯した罪で死に、そして「白い御座」において、裁かれるのです。死ねば自動的に罪赦されて、罪から解放されるのではありません。
よって、現代訳は、まさにパウロの伝えたい真理を教えています。
「死んでしまえば、どんな罪の誘惑からも自由にされている」通りです。死んだ人は、罪を犯したいと思っても、人はその人の体を用いて、具体的な罪を犯すのであり、それがもはや出来ないことを言っています。当たり前のことですが。
しかし、私たちは、罪はどこから来るのかを知っています。それは、実際に行動して罪を犯さなかったとしても、心の中に罪を抱くならば、それこそが罪なのです。
つまり、罪は心から出て来るのです。それゆえ、主イエス様は、「山上の垂訓」において弟子たちに教えられたのです。
『「昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、私はあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。
『姦淫してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、私はあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。(マタイの福音書5:21~5:22および5:27~5:28)』と。
私たちの心は陰険なのです。そして、何も良いものはありません。このように、心の中で抱いたことが罪であるとしたら、すべての人が罪人であることは、代え難い事実なのです。罪の報酬は死です。ゲヘナであり、地獄であり、火の池です。
それだからこそ、すべての人に、救い主が必要なのです。それだからこそ、今から二千年ほど前に、神の御子、主イエス様が、人となって生まれて来て下さったのです。
そして、十字架にかかって死んで下さったのです。身代わりとなって。》