• 2023年4月2日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【マタイの福音書27章26節~51節前半】(新約聖書p.61上段左側)
    27:26 そこでピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスはむちで打ってから、十字架につけるために引き渡した。
    27:27 それから、総督の兵士たちはイエスを総督官邸の中に連れて行き、イエスの周りに全部隊を集めた。
    27:28 そしてイエスが着ていた物を脱がせて、緋色のマントを着せた。
    27:29 それから彼らは茨で冠を編んでイエスの頭に置き、右手に葦の棒を持たせた。そしてイエスの前にひざまずき、「ユダヤ人の王様、万歳」と言って、からかった。
    27:30 またイエスに唾をかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたいた。
    27:31 こうしてイエスをからかってから、マントを脱がせて元の衣を着せ、十字架につけるために連れ出した。
    27:32 兵士たちが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会った。彼らはこの人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。
    27:33 ゴルゴタと呼ばれている場所、すなわち「どくろの場所」に来ると、
    27:34 彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。
    27:35 彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いてその衣を分けた。
    27:36 それから腰を下ろし、そこでイエスを見張っていた。
    27:37 彼らは、「これはユダヤ人の王イエスである」と書かれた罪状書きをイエスの頭の上に掲げた。
    27:38 そのとき、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右に、一人は左に、十字架につけられていた。
    27:39 通りすがりの人たちは、頭を振りながらイエスをののしった。
    27:40 「神殿を壊して三日で建てる人よ、もしおまえが神の子なら自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」
    27:41 同じように祭司長たちも、律法学者たち、長老たちと一緒にイエスを嘲って言った。
    27:42 「他人は救ったが、自分は救えない。彼はイスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおう。そうすれば信じよう。
    27:43 彼は神に拠り頼んでいる。神のお気に入りなら、今、救い出してもらえ。『わたしは神の子だ』と言っているのだから。」
    27:44 イエスと一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。
    27:45 さて、十二時から午後三時まで闇が全地をおおった。
    27:46 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
    27:47 そこに立っていた人たちの何人かが、これを聞いて言った。「この人はエリヤを呼んでいる。」
    27:48 そのうちの一人がすぐに駆け寄り、海綿を取ってそれに酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けてイエスに飲ませようとした。
    27:49 ほかの者たちは「待て。エリヤが救いに来るか見てみよう」と言った。
    27:50 しかし、イエスは再び大声で叫んで霊を渡された。
    27:51 すると見よ、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。

    ◎メッセージ【主イエスの十字架】
    《今週は、シュロの日曜日です。そして、来週の4月9日がイースターとなります。主イエスの復活です。これこそ、私たち、主を信じる者には最大の希望です。
     しかし、「復活」が成される為には、どうしても「十字架」の死を避けて通るわけにはいきません。よって「主イエスの十字架」について、もう一度思い起こして見たいと思います。
     詳しい歴史的証拠はないのですが、過越の祭の時には、毎年、民が望む囚人の解放を、ポンテオ・ピラトは行なっていたようです。このことは、ピラトがユダヤ人の人気を得る為に始めたと伝えられています。ピラトはバラバを解放します。バラバとは、バラバ・イエスで、都に起こった暴動と人殺しのかどで、牢に入れられていた者でした。
     ゴルゴタの丘に立てられた三本の十字架の真ん中には、本来バラバ・イエスが掛けられるはずでした。主は、まさしく「罪人」の代わりとして十字架に掛かられたのです。バラバこそ、私たち一人一人のひな形です。主が死なれ、私たちは解放されたのです。
     主イエスが、ついに力尽きて、十字架を運べなくなった時のことです。護衛のローマ兵は、家族で過越の祭の巡礼に来ていたクレネ人シモンを見つけると、無理矢理、彼を引っ張り出して、主イエスの十字架を担がさせました。彼は、アレクサンドロとルフォスの父であるということです。後に、アンティオキア教会に所属していた、「ニゲルと呼ばれるシメオン」が同一人物であると考えられます。
     また、主イエスだけではなく、二人の強盗も十字架に掛けられました。始めは二人とも主イエスを罵っていたのですが、一人の者が、こう言ったのです。
    「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出して下さい。」
     すると、主イエスは彼に言われたのです。
    「まことに、あなたに言います。あなたは今日、私しと共にパラダイスにいます。」と。 
     やがて全地は暗くなり、主イエスは大声で叫んで、死んで行かれます。その時、地震が起こり、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けたのです。このことについて、ヘブル人への手紙はこう説明しています。
    『こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために、この新しい生ける道を開いてくださいました。』と。
     私たちは、真の大祭司である主イエスの十字架によって、その血潮によって、神の子どもとされました。そして、父なる神様に直接お祈りすることが出来る様になったのです。
     十字架こそ、私たちが誇るべきものです。しかし神様は、それで終わりにしたのではありません。悪魔の最後の武器である「死」をも滅ぼさなければなりませんでした。それが、主イエス様の復活なのです。》

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