◇◆◇日々のみ言葉
2023年5月6日(土)
◎聖書箇所【マルコの福音書3章31節~35節】
3:31 さて、イエスの母と兄弟たちが来て、外に立っていて、人をやり、イエスを呼ばせた。
3:32 大ぜいの人がイエスを囲んですわっていたが、「ご覧なさい。あなたのおかあさんと兄弟たちが、外であなたをたずねています。」と言った。
3:33 すると、イエスは彼らに答えて言われた。「私の母とはだれのことですか。また、兄弟たちとはだれのことですか。」
3:34 そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。私の母、私の兄弟たちです。
3:35 神のみ心を行なう人はだれでも、私の兄弟、姉妹、また母なのです。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。再度、現代訳を掲載します。
『3:31 さて、イエスの母と弟たちがやって来て、外に立ち、人をやって、イエスを呼ばせた。
3:32 イエスの囲りには大勢の群衆がすわっていたが、彼らはこう言った。「あなたのお母さんと弟さんたちが、あなたと話をしに外に来ていますよ。」
3:33 イエスは彼らに答えて言われた。「私の母とはだれでしょう。私の兄弟とはだれでしょう。」
3:34 それから、ご自分の周りにすわっている人たちを見回して、こう言われた。「ほら、ここに私の母、私の兄弟がいます。
3:35 天のお父様の御心を行なう人は、だれでも、私の兄弟ですし、姉妹ですし、またお母様なのです。」』
昨日は、血縁関係よりも、信仰による兄弟姉妹の関係の方が、天の御国において重要であることを学びました。
さて、母マリアは、この後、主イエスと弟子たちと共に行動することになりますが、弟と妹たちは、この時点においては、主イエスを信じることが出来ず、おそらくナザレに戻ったかと思われます。
私は、このことが非常に不思議でならないのです。確かに、ヤコブ、ヨセ(ヨセフの省略形)、ユダ、シモンの四人の弟たち、そして二人以上の妹たちは、彼らが生まれて物心着く頃から、何時も兄イエスが側におり、知っていました。
それにもかかわらず、なぜ主イエスをメシアとして、神の御子として受け入れることが出来なかったのでしょうか。
また、主イエスの実の従兄弟にあたる、ゼベダイの子ヤコブとヨハネは、同じく物心着く頃から、互いに知っていたはずです。しかし、彼らは信じ従うのです。
ここにも、私たちには考えも及ばない、神様の御心があるのではないでしょうか。神様の思いは、私たちの思いとは、はるかに異なり、そして高く、また深くあるのです。》