• 2023年5月7日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2023年5月7日 第1主日礼拝メッセージ
    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き25章1節~12節】(新約聖書p.287上段左側)
    25:1 フェストゥスは、属州に到着すると、三日後にカイサリアからエルサレムに上った。
    25:2 すると、祭司長たちとユダヤ人のおもだった者たちが、パウロのことを告訴した。
    25:3 そして、パウロの件で自分たちに好意を示し、彼をエルサレムに呼び寄せていただきたいと、フェストゥスに懇願した。待ち伏せして、途中でパウロを殺そうとしていたのである。
    25:4 しかしフェストゥスは、パウロはカイサリアに監禁されているし、自分も間もなく出発する予定であると答え、
    25:5 「その男に何か問題があるなら、おまえたちの中の有力者たちが私と一緒に下って行って、彼を訴えればよい」と言った。
    25:6 フェストゥスは、彼らのところに八日か十日ほど滞在しただけで、カイサリアに下り、翌日、裁判の席に着いて、パウロの出廷を命じた。
    25:7 パウロが現れると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちは彼を取り囲んで立ち、多くの重い罪状を申し立てた。しかし、それを立証することはできなかった。
    25:8 パウロは、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、カエサルに対しても、何の罪も犯してはいません」と弁明した。
    25:9 ところが、ユダヤ人たちの機嫌を取ろうとしたフェストゥスは、パウロに向かって、「おまえはエルサレムに上り、そこでこれらの件について、私の前で裁判を受けることを望むか」と尋ねた。
    25:10 すると、パウロは言った。「私はカエサルの法廷に立っているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。閣下もよくご存じのとおり、私はユダヤ人たちに何も悪いことをしていません。
    25:11 もし私が悪いことをし、死に値する何かをしたのなら、私は死を免れようとは思いません。しかし、この人たちが訴えていることに何の根拠もないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカエサルに上訴します。」
    25:12 そこで、フェストゥスは陪席の者たちと協議したうえで、こう答えた。「おまえはカエサルに上訴したのだから、カエサルのもとに行くことになる。」

    ◎メッセージ【パウロとフェストゥス】
    《パウロが監禁されてから2年が経ちました。その間に、フェリクスはユダヤ人の代表者たちによって、皇帝ネロに圧政を訴えられたのです。ネロは彼に代えてフェストゥスをユダヤの総督に任命します。さて、前任者フェリクスと後任者フェストゥスの引き継ぎがカイサリアにおいて行なわれました。2年間監禁されているパウロのことも引き継がれたのです。
     三日後、エルサレムにフェストゥスが到着しますと、早速、祭司長たちとユダヤ人の指導者たちが、パウロのことを告訴して来ました。そして、パウロの件で自分たちに好意を示し、彼をエルサレムに呼び寄せて欲しいと、フェストゥスに懇願したのです。
     もちろん、これは、表向きであって、彼らは待ち伏せして、途中でパウロを殺そうと計画していたのです。そのことを、エルサレムの千人隊長リシアから聞いていたフェリクスは、フェストゥスにも、注意を促したと考えられます。
    「パウロはカイサリアに監禁されているし、自分も間もなく出発する。その男に何か問題があるなら、おまえたちの中の有力者たちが私と一緒に下って行って、彼を訴えればよい。」
     しかたなく、祭司長や民の長老たちは、フェストゥス一行と共に、エルサレムからカイサリアに下って来たのです。この時にも、神様はパウロを守られました。
     翌日、フェストゥスは裁判の席に着いて、パウロに出廷を命じました。パウロが現れると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちは彼を取り囲んで立ち、多くの重い罪状を申し立てましたが、しかし、それを立証することはできませんでした。
    「私は、ユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、カエサルに対しても、何の罪も犯してはいません。よって、私はカエサルに上訴します。」
     おそらく、フェストゥスは、パウロがカエサルに上訴するとは思っていなかったのではないでしょうか。
    「おまえはカエサルに上訴したのだから、カエサルのもとに行くことになる。」
     こうして、パウロが考えていた方法ではなく、全く異なった方法ですが、パウロのローマへの道が開かれたのです。
    『神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。』
     私たちには、事の全貌は見えません。また、この先に何が起こるのかは分かりません。しかし、主イエス様は、全部お見通しです。主は、私たちに取って何が最善なのかを、ご存知です。大切なことは、何時いかなる時も、このお方を心から信頼し続けることなのです。そして、約束されたみ言葉を信じ続けることなのです。》

Comments are closed.