◇◆◇日々のみ言葉
2023年9月22日(金)
◎聖書箇所【マルコの福音書9章36節~37節】
9:36 それから、イエスは、ひとりの子どもを連れて来て、彼らの真中に立たせ、腕に抱き寄せて、彼らに言われた。
9:37 「だれでも、このような幼子たちのひとりを、私の名のゆえに受け入れるならば、私を受け入れるのです。また、だれでも、私を受け入れるならば、私を受け入れるのではなく、私を遣わされた方を受け入れるのです。」
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『9:36 それから、イエスは一人の幼子を連れて来て、彼らの真中に立たせ、腕に抱いて、彼らに言われた。
9:37 「だれでも、このようにつまらない幼子を、私のために受け入れる人は、私を受け入れるのです。また、だれでも、私を受け入れる人は、私をこの世に遣わされた天のお父様を受け入れるのです。」この当時、幼子は、今日のように、純真無垢を表わすものとは考えられておらず、つまらない者と考えられていたのである。』
主イエス様は、幼子、つまり子供が大好きでした。なぜでしょうか。それは当時のユダヤ社会の慣習に起因しています。現代訳では、そのことについて付け加えています。
『この当時、幼子は、今日のように、純真無垢を表わすものとは考えられておらず、つまらない者と考えられていたのである。』
イスラエル民族は、多産の家系でした。出エジプト記こそが、そのことを明確に証明しています。
さて、主は何時でも、最も弱い者の味方なのです。それゆえ、弟子たちの前に、当時は、まだ価値のない者とされていた幼子を連れて来たのです。
「だれでも、このような幼子たちのひとりを、私の名のゆえに受け入れるならば、私を受け入れるのです。」
これこそが、弟子たちの中で誰が一番偉いかと言う議論に対する主のお答えなのです。つまり、主にとっては、誰であっても、尊い大切な存在であると言うことです。誰が偉いのか。私たちにとって、主イエス様以外に偉いお方はいないのです。》