◇◆◇日々のみ言葉
2024年6月14日(金)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙4章3節~4節】
4:3 しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。
4:4 私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。再度ですが、現代訳を掲載します。
『4:3 ところで、私はどうであったろうか。けれども、私にとってあなたがたがどのように判断しようとも、そんなことは少しも意に介しない。このことについては、自分で評価しようとも思わない。
4:4 もちろん、私は良心に照らして何もやましいところはないが、だからと言って、それで満足しているわけではない。私についての正しい評価は、主が最後の日になさるのである。』
パウロは、「私にはやましいことは少しもありません」と言っていますが、彼がダマスコ途上において、超自然的に主イエス様にお会いするまで、どのようなことを行なっていたのか、私たちは知っています。
そればかりか、当時のクリスチャンの中にも、家族や親戚や友人たちを、パウロの迫害によって、失った人々も健在であったに違いありません。
それだからこそ、「それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です」と言っているのです。
パウロ自身、自分が罪人の頭であることを十分知っています。彼が救いに導かれる為に、多くのクリスチャンの血が流されたことも事実です。これを単に「神様の摂理」と言って、片付けることは不可能です。
しかし、パウロが存在したからこそ、異邦人である日本の私たちにも、福音が届いたことも事実なのです。》