◎本日の聖書箇所【ルカの福音書6章20節~23節】(新約聖書p.121上段左側)
6:20 イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話し始められた。「貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。
6:21 今飢えている人たちは幸いです。あなたがたは満ち足りるようになるからです。今泣いている人たちは幸いです。あなたがたは笑うようになるからです。
6:22 人々があなたがたを憎むとき、人の子のゆえに排除し、ののしり、あなたがたの名を悪しざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。
6:23 その日には躍り上がって喜びなさい。見なさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。彼らの先祖たちも、預言者たちに同じことをしたのです。
◎メッセージ【主イエスの言われる幸いとは?】
《主イエスは、十二使徒の任命の後、山を下り、集まっていた大勢の群衆の病を癒やされ、悪霊からの解放を行なわれた後、神の国について教えられたのです。
この教えは、「平地の説教」と言われ、マタイの「山上の垂訓」と多くの共通点がありますが、別の場所の教えであることは、はっきりしています。よって、主はこの教えを様々な場所で語られたことは間違いありません。
「貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。」
「今飢えている人たちは幸いです。あなたがたは満ち足りるようになるからです。」
これを聞いた弟子たちや群衆の人々は、我が耳を疑ったことかと思います。どうして、貧しく、食べ物もなく飢えていることが、幸いなのでしょうか。不幸の何ものでもないのです。
マタイでは、
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」となっています。
「心の貧しい者」とは、へりくだっている者のことです。そして、「義に飢え乾く者」とは、助けを、救いを求める者のことなのです。
その人は、真理を真実を探し求めています。そして、やがて見つけ出します。すなわち救い主イエス・キリストを。
マタイが書き記していないことをルカは書き記してします。
「今泣いている人たちは幸いです。あなたがたは笑うようになるからです。」と。
実は、これは預言なのです。黙示録によって、主は、
『神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」』と約束されているのです。
そして、主イエスは私たちが迫害されること、人々から憎まれることを言われました。十字架に掛けられる前日のことです。最後の晩餐の後、主は弟子たちに言われました。
『「世があなたがたを憎むなら、あなたがたよりも先に私を憎んだことを知っておきなさい。もしあなたがたがこの世のものであったら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではありません。私が世からあなたがたを選び出したのです。そのため、世はあなたがたを憎むのです。私を憎んでいる者は、私の父をも憎んでいます。」』と。
なぜ、憎まれるのでしょうか。それは、私たちがこの世のものではないからです。また、救い主である主イエスを憎み、クリスチャンを憎む、真の敵が存在しているからです。
その敵とは、悪魔と悪霊どもです。私たちは、生きるか死ぬかの霊的戦いの最前線に置かれているのです。
私たちの体は、まだこの世に留まっています。しかし、私たちの霊は、天の御国にすでに引き上げられています。私たちの国籍は天の御国です。この地上の有様は過ぎ去ります。
「主イエスが言われる幸い」とは、主に出会わせていただいて救われたこと、神の子どもにされたこと、そして永遠の命をいただいたことです。
この素晴らしい「幸い」を一人でも多くの人々が、手にすることが出来るように、主の証し人として、御霊と共に歩み続けて行こうではありませんか。》