• 日々のみ言葉 2015年10月23日(金)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年10月23日(金)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書7章1節】

    7:1 さて、パリサイ人たちと幾人かの律法学者がエルサレムから来ていて、イエスの回りに集まった。

    ◎ショートメッセージ

    《主イエスは、弟子たちと共に、故郷ガリラヤに戻って来た。この時、故郷のナザレに主イエスは、三度行かれたのか、聖書には書かれていない。一回目の帰郷は、荒野にて悪魔の試みを受けられた直後のことであった。
     その時の詳しい状況を、ルカだけが書き記している。

     『それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂にはいり、朗読しようとして立たれた。すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。
     「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」
     イエスは書を巻き、係の者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。
     イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」
     みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか。」と彼らは言った。
     イエスは言われた。「きっとあなたがたは、『医者よ。自分を直せ。』というたとえを引いて、カペナウムで行なわれたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ、と言うでしょう。」
     また、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されません。わたしが言うのは真実のことです。エリヤの時代に、三年六か月の間天が閉じて、全国に大ききんが起こったとき、イスラエルにもやもめは多くいたが、エリヤはだれのところにも遣わされず、シドンのサレプタにいたやもめ女にだけ遣わされたのです。また、預言者エリシャのときに、イスラエルには、らい病人がたくさんいたが、そのうちのだれもきよめられないで、シリヤ人ナアマンだけがきよめられました。」
     これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした。
    しかしイエスは、彼らの真中を通り抜けて、行ってしまわれた。(ルカの福音書4:16~4:30)』

     また二回目の帰郷については、マルコが詳しく書き記している。

    『イエスはそこを去って、郷里に行かれた。弟子たちもついて行った。
     安息日になったとき、会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行なわれるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」
     こうして彼らはイエスにつまずいた。イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」それで、そこでは何一つ力あるわざを行なうことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。イエスは彼らの不信仰に驚かれた。(マルコの福音書6:1~6:6)』

     主イエスは、エルサレムからガリラヤへの、最も近道であるサマリヤ経由の道を通って戻って来たのである。
     主イエスは、メシヤとして、キリストとして、ご自身をお現わしになられてから、二度もナザレに戻られた。その時の、故郷の人々の反応は、一回目も二回目も同じであった。彼らは、主イエスにつまずいたのである。

     主イエスは、言われた。
    『「誰でも、わたしにつまずかない者は幸いです。」(ルカの福音書7:23)』

     さて、ユダヤの最高議決機関である、議会サンヘドリンから、主イエスを調査するために、パリサイ人と幾人かの律法学者が、エルサレムから送られて来ていた。おそらく主イエス一行の後を追いかけて来たのであろう。

     主イエスの一行は、最も近い道であるサマリヤ経由の道を通った。本来ならば、パリサイ人や律法学者たちが、追いつくはずはない。しかしサマリヤのスカルの町に、水を汲みに来たサマリヤの女が、主イエスと出会い、その女によって大リバイバルが起こったことは、もうすでに学んだことである。
     その時、スカルの人々は、「あと二日お泊まりください。」と、主イエスにお願いしたのである。もちろん主イエスの一行は、二日間その町に留まり、手厚い歓迎を受けたと思われる。
     その二日間で、エルサレムから、ヨルダン川経由の正規の道を通って追いかけて来ていた、パリサイ人と幾人かの律法学者たちが、主イエスに追いついたのであった。

     今日からは、その場面での話となる。

     彼らは、主イエスと確信すると、主イエスの回りに集まって来た。これは、主イエスに病気をいやしてもらうためでもなく、悪霊を追い出してくれることをお願いするわけでもなく、ただ主イエスを尋問しようとして、はたまた陥れようとして、「たくらみ」を持って集まって来たのである。

     異様な光景ではないか。かたや主イエスに触れられて、病気がいやされ、感謝している人々や、これから主イエスにいやしていただく為に、期待に胸躍らせ、待っている人々。
     そして正反対の気持ちを抱き、主に対する信頼も尊敬も信仰も、持っていない者たちが、主イエスの回りを取り囲んだのであるから。》

Comments are closed.