• 日々のみ言葉 2015年11月1日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年11月1日(日)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書7章18節~19節】

    7:18 イエスは言われた。「あなたがたまで、そんなにわからないのですか。外側から人にはいって来る物は人を汚すことができない、ということがわからないのですか。
    7:19 そのような物は、人の心には、はいらないで、腹にはいり、そして、かわやに出されてしまうのです。」イエスは、このように、すべての食物をきよいとされた。

    ◎ショートメッセージ

    《『イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「みな、わたしの言うことを聞いて、悟るようになりなさい。外側から人にはいって、人を汚すことのできる物は何もありません。人から出て来るものが、人を汚すものなのです。」
     イエスが群衆を離れて、家にはいられると、弟子たちは、このたとえについて尋ねた。(マルコの福音書7:14~7:17)』

     主イエスは、「あなたがたまで、そんなにわからないのですか。」と、かえって弟子たちに質問された。
     と言うことは、多くの群衆には、もちろん分かるはずはないと言うことだ。

     ここで主は、何を弟子たちに教えておられるのであろうか。

    「外側から人に入って来る物」とは、食べ物のことである。私たち人間は、生きている。生きて行くには、「水」そして「食物」が必要である。「水」を飲まなければ、脱水症状となり、また食べなければ、餓死してしまうことは、当たり前のことである。

     この箇所において、「主は、すべての食物はきよいとされた。」とある。

     実は、主イエスの言われたことは、当時において画期的なことなのである。ユダヤ人の律法には、「聖い食べ物」と「聖くない食べ物」、あるいは「食べてはならない物」と「食べて良い物」が、定められていたのである。

     レビ記11章に、そのことについて詳しく記されている。ここでは、最初の部分を掲示したいと思う。

    『それから、主はモーセとアロンに告げて仰せられた。
    「イスラエル人に告げて言え。地上のすべての動物のうちで、あなたがたが食べてもよい生き物は次のとおりである。動物のうちで、ひづめが分かれ、そのひづめが完全に割れているもの、また、反芻するものはすべて、食べてもよい。
     しかし、反芻するもの、あるいはひづめが分かれているもののうちでも、次のものは、食べてはならない。すなわち、らくだ。これは反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。
     それから、岩だぬき。これも反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。
     また、野うさぎ。これも反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。
     それに、豚。これは、ひづめが分かれており、ひづめが完全に割れたものであるが、反芻しないので、あなたがたには汚れたものである。
     あなたがたは、それらの肉を食べてはならない。またそれらの死体に触れてもいけない。それらは、あなたがたには汚れたものである。(レビ記11:1~11:8)』

     何と、「豚」は汚れている生き物なのである。そして「豚肉」を食べる者も汚れると言うわけだ。それに反して、「牛」や「山羊」や「羊」は食べて良い物なのが分かる。この律法を「祭儀律法」と言う。つまり、衛生的に汚れるのではなく、宗教的に汚れると言うわけである。

     そればかりではない。ユダヤ人は、異邦人と一緒に食事すら取ろうとはしない。彼らに取って、異邦人は「人間」以下なのである。何と言うことだろうか。これも実は宗教的なことである。

     主イエスは、律法を廃棄する為ではなく、成就する為に来られた。主イエスが律法を全部守られて成就なされた時に、「祭儀律法」は、終わったのである。旧約聖書は、あくまでも、主イエスを表す予表であり、真(まこと)の方が来られた時に、それは成就したこととなる。

     主イエスは、すべての食物はきよいとされた。これは神が言われたのである。創造主なるお方が言われたことなのだ。レビ記を含む律法を、人間に与えられた神なるお方が言われたことなのである。

     後に、シモン・ペテロは、イタリヤ隊の百人隊長コルネリオの所に赴き、救いと福音は、異邦人に伝えられることとなる。その後、シモン・ペテロの大好物は、豚肉となるのである。

     以前にも書かせていただいたが、私はトンカツが大好きである。最も、体重やカロリーのことを考えて、一ヶ月に一度か二度しか、トンカツ店にはおじゃましないが。やはり美味しいものは美味しいのだ。この事を覚える時に、益々主イエスに感謝する次第である。もちろん、いかに美味しいものでも「食べ過ぎ」は禁物であることは、言うまでもない。》

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