◇◆◇日々のみ言葉
2015年10月31日(土)
◎聖書箇所 【マルコの福音書7章17節】
7:17 イエスが群衆を離れて、家にはいられると、弟子たちは、このたとえについて尋ねた。
◎ショートメッセージ
《『イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「みな、わたしの言うことを聞いて、悟るようになりなさい。外側から人にはいって、人を汚すことのできる物は何もありません。人から出て来るものが、人を汚すものなのです。」(マルコの福音書7:14~7:15)』
まず、この「家」とはどこか?
もちろんカペナウムのシモン・ペテロの家を指す。
主イエスにとっては、シモンの姑も妻も、本当にご自身に対して、良くしてくれる者たちであった。それゆえガリラヤに帰って来たのなら、どうして他の家に泊まるようなことをされるであろうか。
事実、私たちは、主イエスは、シモン・ペテロの家を本拠地としてガリラヤ伝道を行なわれたことを知っている。
『数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると、家におられることが知れ渡った。(マルコの福音書2:1)』
さて、主イエスと十二使徒たちは、久しぶりに、シモン・ペテロとアンデレの家に入った。やはり我が家は良いものである。彼らは、ホッとしたことであろう。
ここで不思議に思うのは、ゼベタイの子ヤコブとヨハネの家は、ペテロの家から近かったはずである。それなのになぜ、こういう時に、家に戻らなかったのであろうか。それは他の使徒たちにも言えることである。
聖書には書かれてはいないが、もしかしたら、時々戻ったりしていて、詳しく家族に報告していたかも知れない。特にゼベタイは金持ちであったから、ヤコブとヨハネは、宣教資金をもらいに行ったかも知れない。そして二人の母であるサロメも、その報告を聞き、主イエスに「対する信仰を持ち、やがて自らも援助する身となって行った、とも考えられるのだ。
なぜか。
ゼベタイは、エルサレム市内に、家を持っていたと考えられるからである。そして私たちは、エルサレムにゴルゴタの丘における主イエスの十字架を遠くから、ながめていた女たちの中に、
ゼベタイの妻サロメがいたことを知っている。
『そこには、遠くからながめている女たちがたくさんいた。イエスに仕えてガリラヤからついて来た女たちであった。その中に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベダイの子らの母がいた。(マタイの福音書27:55~27:56)』
さて、本題に戻ろう。主イエスと十二使徒たちは、家に入ると、主イエスに質問した。
それは、主イエスが言われたことについてであった。
主は、「みな、わたしの言うことを聞いて、悟るようになりなさい。外側から人にはいって、人を汚すことのできる物は何もありません。人から出て来るものが、人を汚すものなのです。」と言われたのである。
十二使徒たちは、その解き明かしを頼んだのである。
ああ、何と恵まれていることであろうか。十二使徒たちは。彼らは。直接、主イエスに、神の子に、いや創造主なるお方に聞くことが出来るとは。そして主イエスが答えて下さるとは。
今、私たちは、直に主イエスの声を、この耳に聞くことは出来ない。しかし聖霊様が聖書を通して、み言葉を通して、時には、かすかなお声で私たちの霊を通して、答えてくださるのである。
何時でも、聖霊様との交わりを持つことが出来るである。》