• 日々のみ言葉 2015年11月3日(火)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年11月3日(火)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書7章24節】

    7:24 イエスは、そこを出てツロの地方へ行かれた。家にはいられたとき、だれにも知られたくないと思われたが、隠れていることはできなかった。

    ◎ショートメッセージ

    《主イエスは、ガリラヤ地方から退いて、何と地中海沿岸の古代都市であるツロの方に行かれた。もちろん十二使徒たちも同行である。
     では、なぜ主イエスはこんな遠くまで来たのだろうか。マルコは、「誰にも知られたたくないと思われた。」と書き記しているが、学者の中には、二つの見解がある。

     一つは、ひとり静まるため、すなわち父なる神との交わりの為に、ここまで遠く異邦人の地にまで来ざるを得なかったと言うことである。
     もう一つは、ヘロデ・アンティパスの追求を逃れる為に、ユダヤ地方から離れざるを得なかったと言うことである。
     後者の方が、より多く支持されている。

     さて「ツロ」とは、「岩」という意味である。最も有名なフェニキヤの港町であり、同じく有名な港町シドンの南方約40.2キロ、カルメル山の北方約57.3キロの地点にある。ツロの背後にはレバノンの山々がそびえている。
     またツロの南端の海に突き出た山々や岬は、外敵の侵入を許さない自然の城壁であった。聖書には「城壁のある町」として言及されており、難攻不落な港町でもあった。
     もちろん異邦人の町である。とは言っても、やはりどこに行ってもユダヤ人は存在していた。

     さて主イエスは、家に入られた。この「家」とは、一体誰の家を指すのか、マタイもマルコも詳しく書き記してはいない。もし「宿」であったとしたら、マルコもマタイも「宿」と書くはずである。しかしマルコは「家」と書いているのである。主イエスの弟子のひとりの家であった可能性は高いと言える。

     しかし驚くことに、何とここでも主イエスの評判は広まっていたのである。なぜなら「隠れていることが出来なかった」と書かれてあるからである。
     主イエスが、弟子たちを伴ってツロに来たことが知れ渡ってしまったようである。

     それほど、当時の人々は、多くの問題を抱えていたのだ。それゆえ、病をいやし、悪霊を追い出すことの出来る「救い主」を待ち望んでいたのである。

     今の日本も同じ状況ではないだろうか。多くの人々が、問題を抱えているにも関わらず、まるで問題のないように、何もないようにふるまっているが、フタを開けたら、もうそれこそ、問題だらけである。

     日本にも主イエスが必要なのである。
     主イエスの訪れが必要なのだ。このお方は、ユダヤを去り、異邦人の国であるツロとシドンに来てくださった。そこで多くの御わざをされたのである。たくさんの人々がいやされ、悪霊から解放され、そして救われたのだ。

     主イエスは、何時この日本に来てくださるのであろうか。そのためにも、日本のクリスチャンが一致して、リバイバルの為に祈り続ける必要がある。今こそ一致すべきである。お互いの教理の違いを超えて、すべての人の主であられるイエスを、主と告白する者同士、手と手を取り合って、和解し合い、そして愛しあうべきなのである。

    『都上りの歌。ダビデによる
     見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。(詩篇133篇1節~3節)』

     日本は決して忘れられてはいない。主イエスよ。来てください。マラナタ!》

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