◇◆◇日々のみ言葉
2015年11月4日(水)
◎聖書箇所 【マルコの福音書7章25節~26節】
7:25 汚れた霊につかれた小さい娘のいる女が、イエスのことを聞きつけてすぐにやって来て、その足もとにひれ伏した。
7:26 この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生まれであった。そして、自分の娘から悪霊を追い出してくださるようにイエスに願い続けた。
◎ショートメッセージ
《『イエスは、そこを出てツロの地方へ行かれた。家にはいられたとき、だれにも知られたくないと思われたが、隠れていることはできなかった。(マルコの福音書7:24)』
主イエスは、地中海沿岸の古代から栄えている港町ツロとシドンにやって来られた。
しかし、ここでも主イエスの評判が広まっていることは、本当に驚異的である。何度も書くが、この当時は通信設備などは、あろうはずもない。今現在みたいに、非常に便利な時代ではなかったにも関わらずである。
伝達方法は、人から人へと口コミだけである。もっともローマ軍などは、手あるいは旗信号などを用いて早い伝達を行なってはいたが、一般の人々には、ただ口伝えにて広めるしかなかったのである。
しかも、主イエスが、ツロに来られたことを、どうして、この母親が分かったのであろうか。また主イエスと弟子たち一行が、入られた家を、どうして見つけることができたのだろうか。女の強い願いと、聖霊なるお方の導きとしか考えられない。
まさしく「母は強し」である。
ツロとシドンは、偶像礼拝の町である。異邦人の町である。ユダヤでさえ悪霊の問題は深刻であった。なおさら偶像礼拝が盛んに行なわれている場所ならば、もっと悪霊は大きな力を発揮していたとしても不思議ではない。
この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生まれであった。
北アフリカのカルタゴ地方に「リボ・フェニキヤ」という地方があった。それと区別する必要から、「シリヤのフェニキヤ」という意味から「スロ・フェニキヤ」という呼び名が使用されたとのことだ。パレスチナ北部のレバノン山脈と地中海とにはさまれた南北に細長い地域を指していて、そこに含まれている町は、ツロ、シドン、サレプタ、トレマイなどがあった。
つまり、この女はこの地で生れ、ギリシヤ語を日常語としていたと思われる。
さて、以前にも私は推測で書いたが、この女は、ギリシャ語を話したことは間違いない。
十二使徒の多くはガリラヤ人であり、ほとんどの者が強烈なガリラヤ訛りを持っていた。その中にギリシャ語が話せる者がいたかどうかは疑問である。ただ取税人マタイや、その弟ヤコブは職業柄から、ローマ人との接点があったはずであり、ギリシャ語を話せたかも知れない。
では、この時、スロ・フェニキヤ生まれのギリシャ人の女と主イエスの間に、通訳がいたのだろうか。あるいはこの女は、通訳を連れて来たのだろうか。
この分面を考えて見ると、どうしても主イエスと女との間に、第三者は存在しないとしか、考えられないのである。
結論から言おう。主イエスはギリシャ語を話せたのだ。もちろんアラム語も、ヘブル語も話せたことは言うまでもない。
次に、この女の態度に注目したい。まず女は、主イエスの足下にひれ伏した。つまり礼拝したのである。
そして次に、自分の娘から悪霊を追い出してくださるように主イエスに願い続けた。これは、一回ではない。何度もお願いしたと言う意味である。ここに、この女の主イエスに対するまことの信仰を見ることが出来る。
私たちはどうであろうか。主イエスの御前に、まずひれ伏して礼拝するだろうか。このお方は礼拝されるべきお方であられる。確かにまことの人であったが、同時にまことの神でもあられた。創造主であられたのである。この奇蹟、不思議とも言うべきことを理解することは無理である。ただ私たちは信じるしかない。
つまり「神」が「人」となって、私たちの世界に降りて来てくださったこと。そして何ひとつ罪を犯さず、私たち人間の罪を全部背負って十字架にかかり、死んでくださったこと。三日目によみがえたこと。そのことを信じる者には「永遠の命」が与えられることを。》