• 日々のみ言葉 2015年11月6日(金)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年11月6日(金)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書7章29節~30節】

    7:29 そこでイエスは言われた。「そうまで言うのですか。それなら家にお帰りなさい。悪霊はあなたの娘から出て行きました。」
    7:30 女が家に帰ってみると、その子は床の上に伏せっており、悪霊はもう出ていた。

    ◎ショートメッセージ

    《『汚れた霊につかれた小さい娘のいる女が、イエスのことを聞きつけてすぐにやって来て、その足もとにひれ伏した。この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生まれであった。そして、自分の娘から悪霊を追い出してくださるようにイエスに願い続けた。するとイエスは言われた。「まず子どもたちに満腹させなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」しかし、女は答えて言った。「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。」(マルコの福音書7:25~7:28)』

     主イエスが、その人の信仰を褒められたケースが二度ある。
    その一つは、ローマ軍の百人隊長の場合であった。

    『イエスがカペナウムにはいられると、ひとりの百人隊長がみもとに来て、懇願して、
    言った。「主よ。私のしもべが中風やみで、家に寝ていて、ひどく苦しんでおります。」
     イエスは彼に言われた。「行って、直してあげよう。」
     しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。」
     イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。あなたがたに言いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます。しかし、御国の子らは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするのです。」
     それから、イエスは百人隊長に言われた。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされた。(マタイの福音書8:5~8:13)』

     当時、カペナウムには、ローマ軍の駐屯地があり、取税所があった。マタイは、その取税人の頭であったと思われる。また主イエスに息子を癒やされた王室の役人も、その時カペナウムに在住していた。とすれば、王室の役人からこのローマ軍の百人隊長が、直接、主イエスの御わざの証しを聞き、この時、主イエスの御元にやって来たとも考えられる。主イエスは、ヤイロの娘のよみがえりの時のように、百人隊長に、「行って、直してあげよう。」と言われたことからも、その可能性は高い。
     しかし、百人隊長は、「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、お言葉をいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。」と言ったのである。

     主イエスは、この信仰を褒められたのだ。しかもローマ人を、異邦人をである。

     そして、二つ目が今回の場合である。

     主イエスは「スロ・フェニキア」生まれのギリシャ人(マタイはカナン人としている)の女の信仰を褒められたのである。

    「そうまで言うのですか。それなら家にお帰りなさい。悪霊はあなたの娘から出て行きました。」

     何と皮肉なことであろうか。十二使徒たちは、嵐の海の中において舟が沈みそうになった時、主イエスが共におられたにも関わらず、彼らは死の恐怖に怯えたのであった。
     主イエスが起き上がられて、「だまれ。静まれ、」と、風と波に命令された。一瞬にして大なぎになった後、主イエスが言われたことは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか。信仰の薄い者よ。」であった。

     異邦人が、ローマ人が、ギリシャ人が、主イエスと共に過ごしていた十二使徒たちよりも、篤い信仰を持っていたとは。

     まさしく「信仰」なのである。主イエスを信じることに他ならないのだ。

     女は、主イエスの言葉を信じ、おそらく平安に満たされて家路についたと思われる。そして、家に帰って見ると、娘はベッドに横になっていて、スヤスヤと眠っていた。もう二度と、悪霊はここには戻らなかった。なぜなら、この母親は主イエスを信じ、救われたからである。

     主イエスは、なぜツロに来られたのであろうか。この後シドンにも行かれている。主が、スロ・フェニキア地方にて行なわれた奇蹟や御わざについては、マタイもマルコも、この女のことについてしか、書き記してはいない。
     私は、あえて言う。主イエスは、この一人のギリシャ人の母親と娘の為に、ガリラヤからわざわざ、こんな遠い異邦人の町に来られたのではないだろうか。
     主イエスは、この後シドンに行かれ、またガリラヤに戻られた。》

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