• 日々のみ言葉 2015年11月7日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年11月7日(土)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書7章31節】

    7:31 それから、イエスはツロの地方を去り、シドンを通って、もう一度、デカポリス地方のあたりのガリラヤ湖に来られた。

    ◎ショートメッセージ

    《「それから」とは、スロ・フェニキア生まれのギリシャ人の女(母親)の娘の悪霊を追い出された後のことになる。
     主イエスと十二使徒の一行は、シドンを通った。

     「シドン」とは、「ツロ」と並んだ都市国家であり、その歴史は非常に古く、紀元前14世紀のテル・エル・アマルナ文書にすでにその名が見られると言う。
     シドンはツロの北35キロの位置にあり、地中海に面する良港で、漁業に貿易に大いに活用された。領土が小さい割には、富強を誇り、進んだ文化を持っていた。
     この町の名が聖書に最初に登場するのは、創世記10:19である。

    『10:15 カナンは長子シドン、ヘテ、
    10:16 エブス人、エモリ人、ギルガシ人、
    10:17 ヒビ人、アルキ人、シニ人、
    10:18 アルワデ人、ツェマリ人、ハマテ人を生んだ。その後、カナン人の諸氏族が分かれ出た。
    10:19 それでカナン人の領土は、シドンからゲラルに向かってガザに至り、ソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイムに向かってレシャにまで及んだ。(創世記10:15~10:19)』

     ここからも分かるように、シドンはカナンの長子である。そのシドンが作った町であることが、19節に書き記されている。イスラエル人との接触はヨシュア以後に始まる。

     新約時代には、ガリラヤに接している関係から、この地方の人々が主イエスに接し、その説教を聞く機会があったことは、マタイおよびマルコの福音書に書き記されている。
     しかし、シドンにおいて、主イエスが何をなされたのかは、両福音書は何も述べていない。
     ただツロにおいてでさえ、主イエスの名声は、高く広まっていたことから、ツロから35キロしか離れていないこのシドンにおいてでさえも、それと同じくらいに広まっていたことは、間違いないことである。

     カナン人は、ユダヤ人が忌み嫌う民族であり、しばしばイスラエルに苦痛をもたらした国家でもあった。そのカナン人の町に、主イエスはその公生涯において、一度ではあったが、福音と奇蹟としるしを伴なわれて訪れたことは、やはり恵みであり哀れみである。
     主イエスは、確かにユダヤ人としてお生まれになられ、ユダヤ人を救う為に来られた。このことは、主イエスの「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」と言われたことから明らかである。
     しかし福音はユダヤ人だけではなく、罪深いカナン人まで、そして異邦人まで、やがては伝えられて行くことになることを、ここで予表しているとも言える。

     それゆえ、遠くこの日本にまで、福音が届けられたことを思うと、何と幸いなことでろうか。主イエスを信じる者は、まさしく「真理」「命」「道」に出会ったのであり、永遠のいのちをいただけたのであるから。

     日本人の多くの人々は、主イエスのことを知っている。日本においては、買おうと思えば、いくらでも聖書を購入することが出来る。
     それにも関わらず、主イエスと人格的に出会う人々の数は余りにも少ない。また主イエスに出会ったとしても、再びこの世の支配者によって目を曇らされ、主イエスに対する信仰を捨てて、主イエスから離れた行く者は跡を絶たない。

     日本の歴史において、主イエスは二度ほどこの国に来てくださった。一回目は、イエスズ会士フランシスコ・ザビエルと共に。二回目は、第二次世界大戦が終わって、連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーと共に。

     「それからイエスは、もう一度、デカポリス地方のあたりのガリラヤ湖に来られた。」

     もう一度、主イエスが日本に、この国に来られることを待ち望んでいるのは、日本に残されたクリスチャンだけではなく、世界中のクリスチャンたちでもある。
     その日が、早く訪れるように、祈り続けようではないか。》

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