◇◆◇日々のみ言葉
2025年10月6日(月)
◎聖書箇所【ピリピ人への手紙2章17節】
2:17 たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてと共に喜びます。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載いたします。
『2:17 たとい私が、あなたがたのために犠牲になったとしても、私は喜ぶし、あなたがた一同と一緒に喜ぶことができる。』
「喜びの書」とも言われている「ピリピ人への手紙」において、17節には、二回に渡って「喜び」が出て来ます。パウロは、たとえ殉教したとしても、喜ぶと言っています。それだけではなく、ピリピ教会の人々と一緒に喜ぶことが出来るとも言うのです。
なぜ「殉教」を喜ぶことが出来ると言うのでしょう。それは、すでに「死」への問題が解決しているからです。
パウロは、明らかに「死」を体験しています。それだけでなく、復活も体験しています。ただ、パウロが体験した復活は、ベタニアのラザロと同じものであって、主イエスにある復活ではありません。
主イエスにある本当の復活の時には、栄光の体になって復活することになるからです。よって、この書簡が書かれた後に、ラザロが再び死んだように、パウロもやがてローマにて殉教することになるのです。
「クリスチャンに取って、この世における死とは、永遠の命への扉を開けることです」と、平山廣惠先生は教えています。
また、パウロも言っています。
『「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」(第Ⅰコリント5:55)と。》