◇◆◇日々のみ言葉
2016年1月4日(月)
◎聖書箇所 【マルコの福音書9章33節~34節】
9:33 カペナウムに着いた。イエスは、家にはいった後、弟子たちに質問された。「道で何を論じ合っていたのですか。」
9:34 彼らは黙っていた。道々、だれが一番偉いかと論じ合っていたからである。
◎ショートメッセージ
『主イエスと十二使徒たちの一行は、カペナウムに戻って来た。そして、シモン・ペテロの家に帰って来たのである。
久しぶりの帰郷だ。主イエスは、ご自身の働きを、ペテロの家を拠点として行なっておられた。
ここに一つの疑問が生じる。
本来ならば、主イエスの故郷はナザレである。この時、もちろんナザレのご自身の実家はまだ健在である。主イエスの弟たちであるヤコブとユダとヨセとシモン、そして妹たちは、そこに住んでいた。
この時、主イエスの母マリヤはどうしていただろうか。時々はナザレの自分の家に戻ったかも知れないが、ほぼ主イエスと行動を共にしていたとも考えられる。
ともあれ、ご自身の実家が宣教の拠点ではないのである。これは本当に不思議なことである。
この時はまだ、主イエスの弟たちや妹たちは、そしてナザレの故郷の人々は、主イエスを信じることが出来なかったのである。なぜなのか、どうしてなのか、その疑問が残るのだ。
ペテロには妻がいた。そして妻の母も同居していた。おそらく子どもたちもいたであろう。主イエスが戻られると、ペテロの妻も姑も、いつものように大いにもてなしたに違いない。もしかしたら、主イエスは、ペテロの姑を、親しみを込めて「お母さん」と呼んでいたかも知れない。そんな微笑ましい光景が、目に浮かぶのは、私だけであろうか。
さて夕食の楽しい一時が終わり、主イエスは弟子たちに質問された。
「道で何を論じ合っていたのか。」
主イエスは、まことの人であられたと同時にまことの神であられた。彼らが何を話し合っていたのか、すべてご存知であった。それにも関わらずあえて質問されたのである。
「道」とは、カペナウムに戻る道すがらのことである。おそらく弟子たちは、主イエスに聞こえないよう、最善の注意をはらいながら、ひそひそと論じ合っていたと思われる。
主イエスが、どのくらい耳が良かったのかは、分からないが、主イエスは霊の耳と目を持って、彼らの論じ合っていたことを知っておられた。
主イエスの御前では、私たちは全く裸同然である。私たちは主イエスの御前で、何一つ隠し通せることは出来ない。また何一つ、見せかけることも出来ない。
すべての人の主であられるお方の御前では、私たちは全く無防備なほどに、何もかもすべてが明らかにされているのである。
さて弟子たちは、黙っていた。黙るしかなかった。
答えることが出来なかったのだ。
なぜなら、彼らは、『道々、だれが一番偉いかと論じ合っていたからである。』
この「彼ら」とは、もちろん十二使徒たちのことである。十二使徒たちに続く60人の弟子たちは、まだ、その中にはいれるものではなかった。
では一体、この議論の発端はどこにあるのだろうか。
それは、主イエスがヘルモン山に、側近の三人の弟子たちを連れて行ったことから始まったことに間違いない。
この三人がヘルモン山において体験したことは、主イエスがよみがえるまでは、話すことを堅く禁じられたいた。
しかし、その体験こそが、その三人を傲慢にしたとも思われる。
これが人間なのだ。これが人間の罪深さなのである。
これは、あくまで私個人の推測にしか過ぎないが、この議論を持ち出したのはシモン・ペテロではないだろうか。
それゆえ、ペテロの失敗を神が備えたもうたのではないだろうか。
『「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる。』と書いてあるからです。しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」
すると、ペテロがイエスに答えて言った。「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」
イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」
ペテロは言った。「たとい、ご一緒に死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみなそう言った。(マタイの福音書26:31~26:35)』
ペテロのこの失敗は、四つの福音書の全てに記載されている。それは、本当に大切な真理を私たちに教えている。すなわち「へりくだる」ことこそが、神に用いられる秘訣であることだ。》