• 日々のみ言葉 2016年1月7日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年1月7日(木)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書9章38節~40節】

    9:38 ヨハネがイエスに言った。「先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。」
    9:39 しかし、イエスは言われた。「やめさせることはありません。わたしの名を唱えて、力あるわざを行ないながら、すぐあとで、わたしを悪く言える者はないのです。
    9:40 わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です。」

    ◎ショートメッセージ

    《主イエスは十二使徒たちに、悪霊を追い出す権威を与えられた。

    『さて、イエスは山に登り、ご自身のお望みになる者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとに来た。そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。(マルコの福音書3:13~ 3:15)』

    『こうして十二人が出て行き、悔い改めを説き広め、悪霊を多く追い出し、大ぜいの病人に油を塗っていやした。(マルコの福音書6:12~ 6:13)』

     また後ほど、主イエスは、別に七十人を定められ、同じく悪霊を追い出す権威を与えられた。もっとも「七十人」は、異本では「七十二人」となっているのもあり、その場合、十二使徒とは別に「六十人」を選ばれ、そして十二使徒とその六十人を合わせて、合計七十二人を遣わされたとも考えられている。

    『その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。(ルカの福音書10:1)』 

    『さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」(ルカの福音書10:17)』

     さて使徒ヨハネがやめさせた、「主イエスの名を唱えて悪霊を追い出している者たち」とは、この「七十人」ではなく、どうやら別の者たちであったようである。もし「七十人」の中の者たちであったのなら、使徒たちとの顔見知りであるはずだ。
     要するに、自分たちの知らない「自称主イエスの弟子たち」が、悪霊を追い出していたと言うわけだ。
     それを見た使徒ヨハネが憤慨し、やめさせたのであった。

    「先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。」

     このヨハネの言葉の中には、自分たちの群れだけが、主イエスに選ばれた正統な弟子たちであり、主イエスに任命されたわけでもないのに、主イエスの御名を使って悪霊を追い出すとは何ごとだ、と言う気持ちが含まれている。

     つまり自分たちだけが正しい、そして正規の弟子であると主張しているのである。
     また「ねたみ」もあったかも知れない。なぜならピリポ・カイザリヤにおいて、使徒たちは、「強い悪霊」を追い出すことが出来なかったからである。それにも関わらず、ヨハネたちが顔見知りでもない者たちが、悪霊を追い出すことに成功しているからである。

     ここに、「自分たちだけが正しい」という教理を掲げて、他の教派を批判する、ある日本の教団・教派を垣間見ているような気がしてならない。

     聖書の根本的な教えを否定したり変えたりしなければ、私たちは皆、主にあって兄弟姉妹であり、互いに一致し合い、協力してやって行くことを尾山令仁先生は主張されている。
     プロテスタント教会の様々な教派の教会はもちろんのこと、そしてカトリック教会も、ギリシャ正教会も皆、仲間なのだ。それを主イエスはここで教えておられるのである。
     
    「やめさせることはありません。わたしの名を唱えて、力あるわざを行ないながら、すぐあとで、わたしを悪く言える者はないのです。わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です。」

     もし「味方」同士で批判し合っていたら、どうして「敵」と、戦うことが出来ようか。

     私たちには、共通の敵が存在する。すなわち「悪魔」「悪霊」である。
     私たちは、常に戦闘状態に置かれており、しかも前線に配備されている。
    にも関わらず、味方同士で内輪もめをしているのが、日本の教会の現実ではないだろうか。

     三浦綾子氏は、かつてこう言われた。
    「主イエスを神の子として告白している教会は、みな大丈夫です。」と。

     主イエスこそ、真の神であられ、また人となって来られた「救い主」であられる。そしてこのお方こそ創造主なるお方なのである。そのことを告白している教会は、皆仲間なのだ。兄弟姉妹なのだ。》

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