◇◆◇日々のみ言葉
2016年1月8日(金)
◎聖書箇所 【マルコの福音書9章41節】
9:41「あなたがたがキリストの弟子だからというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる人は、決して報いを失うことはありません。これは確かなことです。」
◎ショートメッセージ
《これはどういうことか。
この時、主イエスの名声と評判は絶頂期を迎えていた。また主イエスには多くの弟子たちが付き添っていた。
主イエスご自身が、選ばれた十二使徒を始め、その次に続く「七十人」あるいは「七十二人」の弟子たち。その中には、後ほど、イスカリオテ・ユダの代わりに使徒に選ばれることになるマッテヤ、そしてそのマッテヤと共にくじを引いたバルサバと呼ばれたヨセフもいたことは間違いない。
その使徒たちを含めた多くの弟子たちも、その時には、主イエスに続く高い評判を得ていたことは、想像するに容易いことである。
なぜなら、十二使徒たちにも、七十人の弟子たちも、主イエスから悪霊を追い出す権威、そして病をいやす権威、あるいは死人をよみがえらせる権威を与えられていたからである。
当然、悪霊から解放された人や病を癒やされた人、また生き返った人やその家族や親戚の人々の彼らに対する感謝と敬意は、大きなものがあったであろうし、その報いとして「水一杯」どころか、それ相当の持て成しを弟子たちにしたことは、言うまでもない。
それでは、なぜ主イエスはこのようなことを言われたのか。
「あなたがたがキリストの弟子だからというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる人は、決して報いを失うことはありません。これは確かなことです。」
これは、主イエスの預言である。
つまり、やがて、キリストの弟子は、使徒たちはもちろんのこと、人々から迫害される時がやって来ると言うことである。
主イエスは、弟子たちにこのような言葉を残された。
『「もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。
しもべはその主人にまさるものではない、とわたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害します。もし彼らがわたしのことばを守ったなら、あなたがたのことばをも守ります。
しかし彼らは、わたしの名のゆえに、あなたがたに対してそれらのことをみな行ないます。それは彼らがわたしを遣わした方を知らないからです。(ヨハネの福音書15:18~ 15:21)』
エルサレムにおいて、名声と豊かな財産を持ち、ユダヤ人から尊敬されていたニコデモや、アリマタヤのヨセフは、やがて主イエスの言われた預言通りに、ユダヤ社会から追放され、迫害される人生を送ることになる。それは主の弟子だっただからである。
ニコデモは、主イエスの弟子であることを、アリマタヤのヨセフと共に、公に表明したのだ。
そのような彼らに、水一杯でも飲ませてくれる者がいたとしたら、その人は決して報いを失うことはない。そしてこれは確かなことである、と主イエスは言われるのである。
ニコデモの最後は、娘が物乞いをして、その日の糧を得るという悲惨なものであった。 主イエスの弟子であることを公に表わしたその報いは、すべてを失う結果となった。しかし彼は、人生の最後を迎える時に、このように娘に話したと言う。
「私は、主イエスの弟子になることを選んだ。その結果すべてを失ったが、すべてを得たのだ。何一つ後悔することはない。」
主イエスは言われた。
「自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」》