◇◆◇日々のみ言葉
2016年1月10日(日)
◎聖書箇所 【マルコの福音書9章43節~44節】
9:43 「もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。不具の身でいのちにはいるほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよいことです。」
9:44 [本節欠如]
◎ショートメッセージ
《主イエスは、厳しい「たとえ話」をなされた。
9:44は、[本節欠如]となっているが、別の写本には、48節と同じ言葉が入っているものがある。
とすれば、本来はこうなる。
『9:43「もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。不具の身でいのちにはいるほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよいことです。
9:44そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。」』
この主イエスのお言葉は、実は旧約聖書からの預言である。すなわち、イザヤ書の最後の言葉である。
「彼らは出て行って、わたしにそむいた者たちのしかばねを見る。そのうじは死なず、その火も消えず、それはすべての人に、忌みきらわれる。」(イザヤ書66:24)』
「ゲヘナ」とは、どういう所であろうか。
「新聖書辞典」によると、
『これは旧約聖書の「ヒノムの谷」、あるいは「ベン・ヒノムの谷」から出た語である。 ヒノムの谷は、エルサレムの南西を巡っている谷で、現在アラビヤ人が、ワディ・エル・ラバビと呼んでいる谷である。この谷の中で、モレクとタンムズの礼拝が行なわれた。
そこで恐るべき幼児犠牲の儀式が行われたので罪と恐怖の代名詞となった。ヨシヤはこの儀式を禁止するためにこの谷を汚した。その後ここは町の廃棄物、動物および罪人の死体の焼却場に当てられた。
こうしたところから自然にゲヘナは地獄の同意語として使用されるに至った。また黙示録19章20節の「火の池」とも同意語である。』となっている。
要するに「地獄」である。主イエスは、この「たとえ話」を用いて、本当に「地獄」が存在することを教えておられるのである。
「もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。」
これは、あくまで「たとえ」であって、主イエスは、本当に「手を切り捨てよ」と言われたのではない。
「手」が、悪いことに用いられることを、言われているのである。
使徒パウロは言う。
『ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません。また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。(ローマ人への手紙書6:12~ 6:13)』
人は、具体的に「手」を用いて、様々な悪い事を行なうものである。主イエスは、「手を持って罪を犯してはならない。」と言われるのだ。
パウロが勧めるように、「手」は悪いことのためだけではなく、良いことにも用いることが出来る。
私たちは、主から与えられた「手」で、いつも何をしているだろうか。この「手」で主の栄光を現わして行きたいと願わないだろうか。》