• 日々のみ言葉 2016年2月17日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年2月17日(水)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書11章7節~8節】

    11:7 そこで、ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。
    11:8 すると、多くの人が、自分たちの上着を道に敷き、またほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた。

    ◎ショートメッセージ

    《『さて、彼らがエルサレムの近くに来て、オリーブ山のふもとのベテパゲとベタニヤに近づいたとき、イエスはふたりの弟子を使いに出して、言われた。
     「向こうの村へ行きなさい。村にはいるとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい。もし、『なぜそんなことをするのか。』と言う人があったら、『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます。』と言いなさい。」
     そこで、出かけて見ると、表通りにある家の戸口に、ろばの子が一匹つないであったので、それをほどいた。すると、そこに立っていた何人かが言った。
    「ろばの子をほどいたりして、どうするのですか。
     弟子たちが、イエスの言われたとおりを話すと、彼らは許してくれた。(マルコの福音書11:1~11:6)』

     本日も引き続いて「ろばの子」シリーズの学びとなります。

     二人の弟子は、ペテロとヨハネである可能性が高いことは、以前学んだ通りです。彼らは、「ろばの子」に関する主イエス様の預言としるしを、直にその耳で聞き、そして実際に体験しました。
     今、私たちには「新約聖書」が与えられています。いつでも読むことが出来ます。次に何が起こるのかは、分かっています。しかし当時、実際に生きていた彼らには、先のことが分からず、またその時の意味を理解することは、到底不可能なことでした。

     シモン・ペテロは、最初から弟子たちの指導者として選ばれていました。その弟アンデレが、ヨハネと共に、バプテスマのヨハネの弟子であったことも、すべてが神様の不思議な導きと摂理の中にあったのです。だからこそ主イエス様と出会ったのです。
     ペテロは、十二使徒の指導者として、「ろばの子」をイエス様の所へ連れて来ることを、体験する必要がありました。
     また後に「第四福音書」を書くことになるヨハネも、二世紀まで生きながらえて、イエス様を直接知っている最後の使徒として、後世の人々に伝える為にも、この「ろばの子」の預言としるしを、体験する必要があったからです。

     ヨハネはこう書き記しています。

     『その翌日、祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」
     イエスは、ろばの子を見つけて、それに乗られた。それは次のように書かれているとおりであった。
     「恐れるな。シオンの娘。見よ。あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」
     初め、弟子たちにはこれらのことがわからなかった。しかし、イエスが栄光を受けられてから、これらのことがイエスについて書かれたことであって、人々がそのとおりにイエスに対して行なったことを、彼らは思い出した。(ヨハネの福音書12:12~12:16)』

     「自分たちの上着をその上に敷いた」とは、ペテロとヨハネが、自分の上着をろばの子の上に乗せて「鞍」の代わりにしたのです。
     それを見ていた他の使徒たちが、二人がそうしたことを見て、同じように上着を脱ぎ、イエス様の進まれる道に敷きました。
     それを見ていた大勢の人々が、使徒たちと同じことをし、また「木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた」と書かれていますが、ヨハネははっきりとその枝が、「しゅろの木」であったことを、書き記しています。

     『シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。(ゼカリヤ書9:9)』

     イエス様がお生まれになる五百年以上も前に、預言者ゼカリヤの預言が、この時成就しました。

     「王」であるならば、格好いい「軍馬」に乗って凱旋するのが普通です。しかし、エルサレムの真の王であるお方は、ロバの子に乗ってエルサレムに凱旋するのです。

     律法学者とパリサイ人、そして祭司長たちも、この預言を知っていました。しかし主イエス様が、エルサレムに入場された時、律法学者やパリサイ人たち、そして祭司長たちは、誰一人、イエス様を「メシヤ」として、「救い主」として迎えに出ませんでした。

     そうです。彼らは「神の訪れの時」を知らなかったからです。

     ルカはこのように書き記しています。

    『エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。
    「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」(ルカの福音書19:41~19:44)』

     弟子たちでさえも、「ろばの子」に乗られたイエス様の、エルサレム入場の意味を知りませんでした。そうです。「神の訪れの時」を、知らなかったのです。

     主イエス様が、花婿として花嫁である「教会」を迎える時が、やがてやって来ます。それを「携挙」と言います。この次に成就する「聖書の預言」は、「携挙」です。まさしく「神の訪れの時」です。もし、この時を知らなかったとしたら。
     しかし私たちには、「ここに上れ」という御使い長の声も、ラッパの音も、聞こえることは間違いありません。「神の訪れの時」は近づいています。》

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