• 日々のみ言葉 2016年3月5日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年3月5日(土)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書12章10節~11節】

    12:10「あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石になった。
    12:11 これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』」

    ◎ショートメッセージ

    《主イエス様が旧約聖書から引用され、語られたこの言葉は、マタイとルカの福音書にも書き記されています。

     ルカによれば、

     『イエスは、彼らを見つめて言われた。「では、『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石となった。』と書いてあるのは、何のことでしょう。
    この石の上に落ちれば、だれでも粉々に砕け、またこの石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛び散らしてしまうのです。」(ルカの福音書20:17~20:18)』
     となっています。

     そしてマタイによれば、

    『イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』
     だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。また、この石の上に落ちる者は、粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛ばしてしまいます。」(マタイの福音書21:42~21:44)』
     となっています。

     まずイエス様は、このみ言葉をどこから引用されたのでしょうか。詩篇118篇です。

    『118:22 家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。
    118:23 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。』

     マルコは、詩篇118篇22節と23節をそのまま引用しています。またマタイも同じです。これは偶然ではなく、新改訳聖書に翻訳する時に統一されたことだと思います。

     ただイエス様は、この時「聖書」とは言っておられません。この時代、旧約聖書のことを、正式には「モーセと律法と詩篇」と呼んでいたからです。

     さてマタイとルカの福音書には、イエス様が語られた「悪い農夫のたとえ」の解釈も掲載されています。しかし本日の聖書箇所であるマルコの福音書では、詩篇118篇を引用された所で終わっています。

     ここから分かることがあります。マタイは、マルコの福音書を基にして書き記したことが明白であること、そして足りない部分を書き足したことです。

     本日は、マタイの福音書の同一箇所から考えて見ることにしましょう。

    『イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』
     だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。また、この石の上に落ちる者は、粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛ばしてしまいます。』

     これは、家を建てる者が、こんな石はいらないと言って捨てた石、それが実は建物の重要な礎の石となったと言うことです。まことに神様は実に不思議なことをなさいます。 『私たち人間の罪が主イエス様を十字架につけたのに、それによって私たち人間の罪を贖い、救いの道を開かれたのです。』と、尾山令仁先生は言われています。

    「家を建てる者たち」とは、誰でしょうか。それは、その時にも建築が続けられているヘロデの第三神殿を指し示し、実際に指示していたのは祭司長たちでした。
     この第三神殿は、ヘロデ大王が紀元前20年頃から建築を始めました。2年ほどで大体の構造は完成したのですが、すべての建設工事が完了したのは、ユダヤの歴史家フィラフィフス・ヨセフスによれば、紀元64年です。そして紀元70年には、ローマ軍司令官であり、のちの皇帝となるティトスによって破壊され、積み上げられた石は崩されることになります。

     「見捨てた石」と例えられているイエス様によって、教会という建物が、その土台の上に、やがて築かれることになります。

     また「神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。」と言う預言は、まさしく福音が異邦人の手に渡されることを意味しています。

     次に「この石の上に落ちる者は、粉々に砕かれる」と言うことは、イエス様の御前に出る者は、罪と呪いが打ち砕かれ、真にへりくだることを指し示します。

     そして「この石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛ばしてしまいます。」と言うことは、やがて主イエス様によって行なわれる「白い御座のさばき」を表わしているのです。

     最後に、「私たちの目には、不思議なことである。」と言うことは、まさしく後にパウロがその手紙に書き記した通りなのです。

    『「事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。
     ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。(第一コリント1:21~1:23前半)』》

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