◇◆◇日々のみ言葉
2016年3月6日(日)
◎聖書箇所 【マルコの福音書12章12節】
12:12 彼らは、このたとえ話が、自分たちをさして語られたことに気づいたので、イエスを捕えようとしたが、やはり群衆を恐れた。それで、イエスを残して、立ち去った。
◎ショートメッセージ
《ルカによりますと、
『律法学者、祭司長たちは、イエスが自分たちをさしてこのたとえを話されたと気づいたので、この際イエスに手をかけて捕えようとしたが、やはり民衆を恐れた。(ルカの福音書20:19)』と、なっており、
またマタイによりますと、
『祭司長たちとパリサイ人たちは、イエスのこれらのたとえを聞いたとき、自分たちをさして話しておられることに気づいた。それでイエスを捕えようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者と認めていたからである。(マタイの福音書21:45~21:46)』と、なっています。
主イエス様は、「悪い農夫のたとえ」を、「彼ら」に語られました。
「彼ら」とは、律法学者、祭司長たち、そしてパリサイ人と民の長老たちを指し示します。彼らはまさしくユダヤ人の指導者たちであり、最高議会サンヘドリンの議員であったと、尾山令仁先生は言われています。
ここから、いよいよ「闇の力」が暗躍を始めるのです。この時にも彼らは、イエス様を捕らえようとしましたが、彼らは群衆を恐れたと書かれています。
マタイの福音書によりますと、「群衆はイエスを預言者と認めていたからである。」となっています。
この「預言者」とは、単なる預言者ではありません。
父なる神様がモーセを通してユダヤ人に約束した「預言者」のことです。
申命記によれば、
『あなたの神、主は、あなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない。
これはあなたが、ホレブであの集まりの日に、あなたの神、主に求めたそのことによるものである。あなたは、「私の神、主の声を二度と聞きたくありません。またこの大きな火をもう見たくありません。私は死にたくありません。」と言った。
それで主は私に言われた。「彼らの言ったことはもっともだ。わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのようなひとりの預言者を起こそう。わたしは彼の口にわたしのことばを授けよう。彼は、わたしが命じることをみな、彼らに告げる。わたしの名によって彼が告げるわたしのことばに聞き従わない者があれば、わたしが彼に責任を問う。」(申命記18:15~18:19)』と、書かれてあるからです。
もちろん祭司長たち、パリサイ人と律法学者たちは、この預言を十分過ぎるほどに知っていました。彼らは、モーセ五書を完璧に暗唱していたからです。
それにもかかわらず、彼らはイエス様を信じることが出来ませんでした。それどころか、彼らは、この時、真剣にイエス様を殺すことを、十字架につけることを、異邦人であるローマ人の手に渡すことを決意し、実行し始めたのです。
やがてその好機が訪れることになります。そうです。誰もが知る十二使徒のひとりである「イスカリオテのユダ」が彼らのいる神殿の所に、密かにひとりでやって来るからです。これが「きっかけ」になることは言うまでもありません。
群衆も、そしてやがてはイエス様を裏切ることになる「イスカリオテのユダ」も、イエス様に対して「政治的メシヤ」を期待していました。
いつ「イスカリオテのユダ」の心の中に、主イエス様に対する疑いの心が起こったのかは、具体的には聖書には書かれてはいませんが、主イエス様が十字架に付けられる時には、群衆の心は完全にイエス様から離れてしまっていました。
これも祭司長たち、パリサイ人と律法学者たちの計略が功を奏したと言えるでしょう。
「悪い農夫のたとえ」を主イエス様が話されたのは、受難週の第二日目にあたる火曜日のことでした。あとイエス様に残された時間は、三日間だけとなります。その事を知っていたのは、三位一体である父なる神様とイエス様、そして聖霊様であったのです。
十二使徒の誰もが、三日後に何が起こるのか、想像もしていませんでした。
今の私たちには、手元に聖書があります。よってこれから何が起こるのかが書かれてますから知っていますが、この時の使徒たちには、全く見当もつかなかったことは、当然と言えるでしょう。
同じように私たちも、これから先に何が起こるのか、起こって来るのか、知ることが出来ないことは言うまでもありません。
しかし、神様はすべてを知っておられます。神様に取っては、過去も未来も、そして今この瞬間さえもが、すべて現在時制なのです。
このお方は私たちに対して、「良い計画」を持っておられます。
このお方を信じ信頼し、そしてより頼んで、前に進もうではありませんか。》